そーゆーとこツボなのさ

終日もう君に夢中

『咲く、今。』曲分析

十五祭の中で本編最後に歌われた曲、それがこの曲。

にしたって今見ると歌詞があまりにも6人を終えようとしてる関ジャニ∞にピッタリすぎて、よくこれを最後に持ってこようと思ったな、と。

なんせ錦戸さんの脱退を知らなかった時からこの曲の順番に若干の違和感はあった。

 

バンドコーナーが

crystal

ローリングコースター

Tokyoholic

勝手に仕上がれ

LIFE 〜目の前の向こうへ〜

なわけで、正直LIFE終わりでも問題はない、というかむしろ違和感のないセトリだったと思う。

そのあと突然のVTR挨拶が挟まり、衣装も変わって『咲く、今。』だけを歌って本編が終わる。

この曲だけが本編と独立した部分にあったと言っても過言ではない。

歌詞的にもあまりにもメッセージが込められすぎてて、好き勝手その背景を考察するのは意外と性に合わないので今回はシンプルに曲の構成だけについて語っていきます。

ていうか、それだけでも十分ひとつの記事になるほど語り甲斐のある素晴らしい曲だなと感じたので。

 

とりあえず歌詞とパート割をおさらい。

 

作詞:松原さらり 作曲:オカダユータ

編曲:高慶"CO-K"卓史

 

出会って別れて笑って泣いて

安田


僕らは今始まるから

丸山


期待外れの天気に意味もない愚痴をこぼしては

大倉


窓の外にあった小さな蕾 ぼんやり見ていた

錦戸


手に余るくらいにあったはずの時間はいつの間にか

村上


何かに追われて逃げていくように 忙しなく通り過ぎて

横山


1人きりで歩いていると思い込んでいたのか 夢の途中

安田


桜咲いたあの季節ほど溢れ出したことはない

ありがとうと

丸山


出会って別れて繰り返して

全員(大倉下ハモ)

僕らはまた大人になった

大倉以外

咲けばいつかは散るとしても

全員(大倉下ハモ)

今はただ必死に咲いてるから

大倉以外

それぞれの今

全員

始まるから

全員(大倉下ハモ)


同じ思いで走ったって

同じ道は続かなくって

惨めな姿を見せ合えたあの毎日が遠のいてく

安田・錦戸・村上


心にこびりついた後悔を捨てて今はどれだけ泣いてもいい

大倉・丸山・横山


さようなら

安田・錦戸・村上


出会って別れて笑ってないて

全員(大倉下ハモ)

僕らはまた見つけにいくんだ

大倉以外

咲けばいつかは散るとしても

全員(大倉下ハモ)

ずっと懸命に咲いてみるから

大倉以外

それぞれの今

全員

始まるから

全員(大倉下ハモ)

 

色々特徴はあるんだけど、大きく分けるとこの二つが着目すべき点だと思う。

・曲構成が変わってる

・ユニゾンが多い

 

まず曲構成について。

一番よくあるパターンは

イントロ→1番Aメロ→1番Bメロ→1番サビ→間奏→2番Aメロ→2番Bメロ→2番サビ→間奏→Cメロ→大サビ→アウトロ

 

頭にサビが入ったり、落ちサビがあったり、Cメロがなかったり、このパターンに収まらない曲自体はたくさんあると思う。

ただ、ほとんどの曲は1番と2番がある。

これについてはテレビで披露したりライブで披露したりすることを考えると、2番があればショートver.にしやすいから、とか色々理由はあると思うけど、詳しくは知らんけど、とにかく2番がない曲というのはほとんどない。

 

尺的には3:49で、crystalも3:48であることを考えると、別に短いわけじゃない。

実際crystalはこの尺で2番カットの形でテレビで披露していた。

 

とりあえず『咲く、今。』の構成を見てみよう。

 

頭サビ

イントロ

Aメロ

Bメロ

サビ

Cメロ

大サビ

アウトロ

 

まず2番がないこともさることながら、間奏がない。サビが終わるといきなりCメロに飛ぶ。しかもこのCメロがボリューミー。

Cメロって大体Aメロくらいの長さか、それより短いことが多いけど、Cメロの中がこのような3段構成になっていて、もはやこれはCメロと言っていいのか?ってレベル。

①「同じ思いで走ったって〜遠のいてく」

②「心にこびりついた〜泣いてもいい」

③「さようなら」

 

恐らく、間奏がない、2番がない、Cメロの展開が多い、という構成の狙いはこうじゃないかな?と。

・歌詞を聞かせたい

・Cメロを聞かせたい

間奏がないから自ずと1局の中で歌ってる部分が増えるし、頭のサビや「さようなら」の部分には伴奏が最小限、もしくは声だけという部分もある。

2番がないからCメロをカットすると不自然な曲になるため、Cメロを歌うことを前提に作られた曲なんじゃないかと。

なんなら十五祭で披露することを目的に作られた曲と言っても過言ではないんじゃないか、みたいな感じ。

 

で、次。

 

関ジャニ∞といえば、ハモリ、ってレベルだと私は思っている。

バンドスタイルで7人全員が歌うって珍しい形だと思うし、下ハモと上ハモに半分近くの人員を割くことがあるってのも結構特徴的だと思う。

しかしこの曲、とにかくユニゾンが多い。

サビでこそ大倉さんが下ハモで入ってるけど、サビの中でも大倉さんが歌わずに5人のユニゾンだけになってるところが結構あるし、サビ以外に関しては最早ハモリがゼロ。

だとすれば絶対わざとユニゾンにしている、ユニゾンにしている意図がきっとあるはず。

 

多分今まで通り、通常通りにパート割をするとすれば、Bメロあたりで安田さんが丸山さんあたりが上ハモというパターンとか、サビで安田さんが上ハモに行くとか、もっとハモリ入れてたと思う。

 

ニゾンの効果を考えた時、導き出されるのは恐らくこの結論。

・歌詞を聞かせたい

・歌を強調したい

同じ音を重ね合わせるということはそれだけ強くなるし、ハモリがないということは歌詞が聞き取りやすくハッキリするという部分があると思う。

特に3段構成になっているCメロで3人→3人→3人のユニゾンの移り変わりはめちゃくちゃ面白い。

 

もうちょっとパーツごとに深掘りしてみよう。

 

頭サビ 安田→丸山

出会って別れて笑って泣いて

僕らは今始まるから

 

安田さんの歌い方とか、そもそもこの2人を出だしに起用してることから、この曲はしっとりした雰囲気を出したいんだなって思った。

元気に明るく力強く、ってパターンが結構エイトさんの曲にはあるけど、それとは無縁の感じ。

まぁでもこのパターンはシングルはともかく、カップリングでは関ジャニ∞の定番パターンなのでそこはあんまり驚かないかな。

 

Aメロ 大倉→錦戸→村上→横山

期待外れの天気に 意味もない愚痴をこぼしては

窓の外にあった小さな蕾 ぼんやり見ていた

手に余るくらいにはずの時間はいつの間にか

何かに追われて消えていくように 

忙しなく通り過ぎて

 

AメロとBメロに関しては一貫して1人1パートという割り方。スペアキーとかもそう。

このパターンは必然的に音数が少なくなるし、それに勝ってしまわない楽器の選び方になるので静かで聞かせる曲になりやすい。

 

Bメロ 安田→丸山

1人きりで歩いていると思い込んでいたのか

夢の途中

桜咲いたあの季節ほど溢れ出したことはない

ありがとうと

 

安田さんと丸山さんの声って似てるんだけど、安田さんは頭の上から抜けるような声、丸山さんは息がたっぷり含まれて前に出てくる声をしてると思う。

だからこの順番にすることで、多分サビに向かって広げていきたい、温かい感じにしたい、という意図があったんじゃないかと思う。

 

サビ

出会って別れて繰り返して

僕らは今大人になった

咲けばいつかは散るとしても

今はただ必死に咲いてるから

それぞれの今始まるから

 

まず1サビで「それぞれの今始まるから」は多分付けないのが普通だと思う。

「今はただ必死に咲いてるから」までで完結したとしても何の違和感もない。そこから間奏が始まって2番Aメロに入れば至って普通のカップリング曲の出来上がりである。

だとすれば「それぞれの今始まるから」は+α、わざわざそれを付けるということはおそらく強調。

そして「それぞれの今始まるから」を除いた部分、これの面白いのは一般論はハモリで、自分たちのことはユニゾンで歌っているところ。

「出会って別れて繰り返して」

「咲けばいつかは散るとしても」

と言った一般的に人生の中で起こりそうな出来事、無常感を歌った部分に関しては大倉さんが下ハモで入っている。

「僕らは今大人になって」

「今はただ必死に咲いてるから」

と言った、自分たちの今を歌っている部分はユニゾンになっている。それによって音楽というより、言葉、言霊の側面が強くなっているんじゃないかと。

逆に「それぞれの今始まるから」に関しては、「それぞれの今」を5人のユニゾンで歌ったところで、「始まるから」で広がるような雰囲気がある。言葉に合わせた曲構成、やっぱりこの曲めちゃくちゃ歌詞が重視されてるよね、と。

 

Cメロ

安田・錦戸・村上

→丸山・横山・大倉

→安田・錦戸・村上

同じ思いで走ったって同じ道は続かなくて

惨めな姿を見せ合えたあの毎日が遠のいてく

心にこびりついた後悔を捨てて

今はどれだけ泣いてもいい

さようなら

 

十五祭、毎回「さようなら」が頭の中に残ってしまって、まさかこれが最後じゃないよね?と何回も思った。

それは多分完全にこの曲にしてやられてたから。

Cメロはさっきも言った通り3→3→3で進んでいくんだけど、その割り方が面白い。

似てる声同士を組み合わせている。

似てる声同士って一見相性良さそうかもしれないけど、基本的にぶつかり合うことが多いと思う。

特にキーが高くて高音の伸びが良く声量のある安田・錦戸・村上の3人の声はしっかり音程が取れてないとぶつかる。

その上ハモリなしの完全ユニゾン、音域も特に「惨めな姿を見せ合えた」の部分なんてかなり高い。となれば3人が3人しっかり音程が取れてないと結構聞かせられない部分があると思う。

何故わざわざこの3人にユニゾンをさせたのか、そこに意図がないはずがない。

ぶつかるというのは良い効果を与えることもある。例えば私のめちゃくちゃ好きな『Brilliant Blue』のこのヤスヒナパート。

「これ以上増えることない思い出が角が取れて美化されるとますます厄介な存在だから」

ジリジリとぶつかり合う高音域のユニゾンが、失恋の苦しみを歌った歌詞ととてもマッチしている。

同じく「同じ思いで走ったって同じ道は続かなくて惨めな姿を見せ合えたあの毎日が遠のいてく」という歌詞は、時間が過ぎていくことに対する焦燥感とかがめちゃくちゃ現れてる。

この曲の歌詞では全体として時間に対する焦燥感みたいなのが大きなテーマとしてあると思う。

 

続いて丸山・大倉・横山パートはさっきの3人みたいに声がぶつかり合ってる感じはないし、わりと優しく下から包み込むような甘い声を集めてきた感じ。

「心にこびりついた後悔を捨てて今はどれだけ泣いてもいい」

サビ以外で時間が過ぎていくことを受け入れる歌詞はここで初めて出てくる。

そこにこの3人の声はめちゃくちゃ効果的。

しかもさっきの3人のジリジリとした声との対比効果でより一層落ち着いた、無常感を受け入れるような歌詞を強調するパートになってる。

 

からの「さようなら」

 

すごい。この曲が別れを歌ってるのは分かりやすいと思うけど、別れを示す言葉の中で一番分かりやすい最後の言葉「さようなら」をここに持ってくるかぁ〜、と。

しかも関ジャニ∞さんならハモリで綺麗に歌うということもできたはず。

なのに一番声がぶつかる3人のユニゾン。後ろの楽器の音も一気に消える。

綺麗事にならない、しない「さようなら」だけが生の声として、言葉としてドームに響く。

 

その余韻を残して間奏に入るとか、もっと間を取るとか、そういうパターンもあったと思う。

その方が印象としては残るし、ここまで強調したんだから。

でも間を1拍しか開けずに次の「出会って別れて」に入っていく。

 

さようなら、の余韻を残さない6人って、なんか、すごく分かるんだよなぁ。

出会って別れて笑って泣いて、繰り返してるんだよね。いちいち立ち止まって何てられない。

あ、歌詞の考察しないんだった。

まぁいいや、うん、全体の歌詞が美しいからこその一言だけの「さようなら」が目立つ歌。

 

ちなみに「それぞれの今始まるから」がサビ最後に2回出てくるけど、1回目と2回目でハモリが違う。

どっちも大倉さんの下ハモという点では違わないけど、1回目は恐らく3度下のハモリ、2回目は5度下のハモリになっている(はず)。

1回目のサビと2回目のサビの歌詞が結構似ていて、Cメロしか間に挟まれてない上に頭サビでも同じような歌詞を歌ってる、その上ユニゾンばっかり。

あまりにもドラマチックすぎて繰り返されてくどく重くなるところを、恐らく最後のハモリだけ変えることによって広がりを見せて、関ジャニ∞だけの曲にしない、一般も拾える曲に戻す効果があったのかなぁ、なんて。

 

やっぱめちゃくちゃ良い曲だなぁ。

私の言ってることが合ってるかは分からないけど、どの曲もいろいろ考え込まれてるはずだとは思う。

だけどこの曲は特に関ジャニ∞のために作られた曲なんじゃないかなと感じた。

その理由が少しでも説明できてスッキリしました。 

6人の終わりの曲は分析できたから、今度は5人の始まりの曲について解説できたら良いな。

『友よ』売れてくれ。