そーゆーとこツボなのさ

終日もう君に夢中

パラダイス 粗くないあらすじ&考察

パラダイスが閉幕しました。

今まで舞台の最多観劇はヘドウィグだったのですが、今回また記録を更新してしまいました。

本当は大阪公演だけを観る予定だったのですが、大阪千秋楽が終わった後、どうしても我慢できず、東京のチケットを探してしまったというハマりっぷりです。

良い舞台を観終わった後は、外から見ると抜け殻になったみたいな生活になってしまうのですが、本当はむしろ中身がパンッパンに詰まって身動きが取れないと言った方が適切な状態です。だからこうして推測したり、想像したり、妄想したりしてなんとか咀嚼し、ブログを書くことで、ようやく元の人間の形に戻れる次第です。

パラダイスを観ていない人にもどうにかこの感情をそのままお伝えしたくて、加えて自分の中でこの作品をいつまでも残しておきたくて、いつも細かすぎるあらすじを書いてしまいます。今回は公演期間中からあらすじを書き残し始めたので、いつもよりは覚えていたのですが、やっぱりうろ覚えの部分も多いです。

私は他人の書いたものを見てしまうと、記憶が塗り替えられるような気がして、できるだけ見ないタイプです。なので私と同じくあらすじを飛ばして考察だけを読みたい方はこちらからどうぞ。

それではまずはあらすじから。

あらすじ

ステージが上下で分かれている。

下部に雑居ビル。デスクが1つ、皮張りの黒のオフィスチェアが1つ、ボロボロのオフィスチェアが1つ、脚立が2つ、机の上には固定電話。


中央で1人の男が血まみれで梶に殴られている。
真鍋と研修生たちがそれを見ている。
真鍋は時々時計を見る。
梶は這いつくばる男の髪を後ろから掴む。

真鍋「梶さん、ぼちぼち」
梶「え?」
真鍋「ぼちぼち終わりにしないと」
梶「いや、中途半端が一番良くないと思うんだよね。だって、このままだったらただの暴力じゃん」

手を離した梶は、周りにいる研修生に話しかける。

梶「別に俺、コイツを殴りたくて殴ってるわけじゃないから。むしろ感覚的にはお祓いに近いっていうか、ほら、バンバン叩いて悪魔を追い払う的な。だってコイツほんと終わってるから。俺こういう奴何人も見てきてるから、ちょっと心配で」

原田「すいません、本当にすいません」

梶「それは何に対する謝罪?」
原田「すいません」
梶「え、今お前、俺に謝ってない?みんなに謝れよ」
原田「すいません、あの、言い訳するわけじゃないんですけど、人身事故で電車が止まってて」
梶「やっぱコイツ全然分かってねえじゃん」

梶と真鍋は目を合わせ、真鍋が男を殴る。

真鍋「ぐちゃぐちゃ言い訳すんじゃねえよ」
梶「この世界白か黒しかねえから、別に悪くないと思ったら謝らなくても良いんだよ?」
真鍋「お前男だろ」
梶「男とか女とか関係ないから、それ言ったらコンプライアンス的にちょっとアレだから、今そういう時代だから」
真鍋「すいません」

原田が梶の足元で土下座する。

原田「あの、遅刻してしまい申し訳ありませんでした」
梶「そうだよ!」
真鍋は男に向かって大袈裟に拍手をする。

梶「その言葉が聞きたかったんだよ。それを言うまでにお前どれだけかかった?遅刻は絶対するなって最初に言ったよな?2回目だぞ。しかも何食わぬ顔で仕事始めて、俺らが見逃すと思ったわけ?そんな甘い世界じゃないから!ここは戦場だから」
真鍋「ここは学校じゃねえからな」
梶「悪いと思ったらきちんと謝る、それがこの世界のルール」
真鍋「ここは学校じゃねえからな」
梶「規律が全てなんだよ!学校で教わんなかったか?」
真鍋「ここは学校じゃねえからな」
梶「あんだけ遅刻はするな遅刻はするなって何回かも言ったのに、3日間で2回も遅れてくるってどんだけだよ!よっぽど人間が腐ってんだな!今までもそうやって誤魔化し誤魔化し生きてきたんだろ!その慣れの果てがこれだよ」

梶は窓の方を見上げる。

梶「てかあっちい、なにこれ?冷房壊れてんの?」
真鍋「いや、壊れてはないんすけど、風が冷たくならないんすよ」
若林「窓開けましょうか?」
梶は若林を無言で見返す。
若林「いや、なんでもないっす」

梶「おい、原田」
原田「え?」
梶「原田だっけ?」
原田「はい」
梶「お前今いくつ?いや、歳」
原田「38です」
梶「38!?俺より年上じゃん!コイツ、誰が連れてきたの?」
真鍋「池ちゃんっす」
梶「池ちゃん?」
真鍋「池ちゃんっす」
梶「池ちゃんかよ」
真鍋「池ちゃんっす」

真鍋と梶は顔を見合わせながら笑う。
その間に原田が必死に謝りながら入ってくる。

原田は梶に向かって土下座する。
原田「遅刻してしまい申し訳ありませんでした!」
梶「だーかーら!」
梶は再び男を殴る。望月のスカートに血が飛び、望月は悲鳴をあげる。
梶「俺に謝ってどうすんだよ。みんなに謝れよ」

足元を気にする望月に梶が気づく。

梶「あ、ごめん、血ついちゃった?」
望月「いや、大丈夫です」

望月は怯えている。
梶「あとでクリーニング出しといて。請求書渡してくれたら精算するから」
望月「大丈夫です」
梶「いや、そういうとこちゃんとしとかないと、じゃないとあとあとめんどくさいから」
望月「はい」

男は研修生全員に土下座して謝っていく。1人だけ謝り忘れられている。

梶「どうだ?みんな、許してくれるか?」

研修生たちは梶に怯えながら頷く。
しかし1人だけ恐る恐る手を挙げる。

若林「あの、俺、コイツ許す気ないんですけど」
梶と真鍋は目を合わせる。真鍋は若林を牽制するように立つ。
若林「いやだって、迷惑じゃないっすか。失礼ですけど梶さん?優しすぎますよ。コイツ絶対また繰り返しますよ」
原田「あぁ?」
若林「こうしてる間にも時間は過ぎていくわけだし。早く仕事始めたいじゃないですか。こんなやつもう出し子でいいですって」
原田は若林を睨みつける。
原田「ふざけんなよ」
若林「ふざけてんのはお前だろ」

原田が立ち上がり、若林に向かっていく。
原田「やんのかコラ」
若林「やんねえよ」
原田「やんのかコラ」
若林「やんねえよ」
原田「やんのかコラ」
若林「だからやんねえよ!」
原田は若林に掴みかかろうとするが、真鍋に引き剥がされる。
若林「服伸びちゃったじゃねえか!」

真鍋は若林を睨みつける。
真鍋「お前は黙ってろ。梶さんに意見するなんて100年早えよ」
梶は笑いながら真鍋の肩に手を置く。
梶「いいって、コイツの言う通りだよ、俺優しすぎるんだよ」
梶は若林に近づく。
梶「お前名前は?」
若林「若林っす」
梶「ありがとうね。いや、この前さ、俺、服役を体験した元政治家の獄中体験記を読む機会があってね。そんでその中に、身体障害者の受刑者仲間から『俺たちは生まれた時から罰を受けている』って言われるシーンがあって、俺それ読んだ時、目からうろこっていうか。いや、俺には身体障害者の苦悩とか分からねえよ?でも、なんとなく、生まれた時から罰を受けているって感覚は分かる気がする。俺こう見えて結構マトモに育ったんだよ。普通の家庭に生まれて、普通の両親に普通に育てられて、普通に学校にも行ったし、普通に彼女もできたし。普通に大学出て、普通に就職して」
若林「マジっすか」
梶「でもなんか、ずっとモヤモヤしたものを抱えて生きてきた。だから復讐みたいなもんだよね」

若林は曖昧に頷く。

梶「ごめん、言ってること分かる?」
若林「いや、すいません、正直よく分かんないっす」
梶はしんとした周りを見渡し、笑い始める。
梶「ごめん、余計なこと喋っちゃった。忘れて」
研修生の一人が突然口を開く。
「梶さんの言ってること、なんとなく分かります」
梶は真鍋と目を合わせて笑う。
梶「分かられちゃったよ」
望月「私も分かります。復讐したいです」
若林「え、誰に?」
望月「誰かに」

梶「ここは砂漠だ。俺たちは喉がカラカラに乾いている。雨が降る気配もなけりゃ、井戸を掘る体力もない。夜露をすすって耐え忍ぶしかない。しかしそこには水をたんまりと溜め込んだ連中がいる。泣き叫ぶ子供にも知らんぷりで、のうのうと生きている老人どもがいる。お前らならどうする?奪うだろ」
真鍋「何も一文なしのホームレスから身包み剥がそうってわけじゃねえ。資産1億の連中からたった300万掠め取る」
梶「それって罪か?これって罪なのか?」

研修生たちは床に座ってファイルを開き、電話をかけ始める。真鍋と梶は監視するように見回る。

真鍋「いいかお前ら、契約営業を舐めんじゃねえ。マニュアル通りにやるな、臨機応変に」
梶「いいかお前ら、相手を騙すんじゃない、信じ込ませるんだ。お前らは被害者だ。お前らが汗水垂らし喉を枯らして必死に頑張っている間に、我関せず涼しい場所でのうのうとあぐらをかいて過ごしているやつがいる。悔しいだろ?腹立たしいだろ?これは犯罪なんかじゃない、単なる復讐だ」

 


ステージ上部にボウリング場。

上手側にレーン。下手側に丸テーブルが1つ、その周りに4脚の椅子がある。机にはソフトドリンクが2つ。青木がボールを投げようとしている。辺見は椅子に座ってそれを見ている。
ボールを投げる。結果はあまり良くない。

青木「あぁ」
辺見「無心でいけ、無心で」
青木「はい!」

青木が投げる。ストライク。
辺見は立ち上がり、ハイタッチしようと手を出す。青木はペコペコしながら控えめに手を合わせる。
辺見がボールを持つ。

青木「集中!」

辺見が構える。

青木「集中!」

辺見がボールを投げる。ピンが倒れる音。

青木「ああっ、割れた」
辺見「ええー、今のであれじゃどうにもなんないよ。今日レーン速くない?」
青木「速いっす。あんまレーンのコンディション良くないっす」
辺見「次のゲーム、レーン変えてみる?」
青木はレーンを熱心に見つめている。
辺見「昔池袋にあったボウリング場覚えてる?まだ点数が手書きだった頃。あそこ良かったなぁ、いつ行ってもコンディション良くて」
青木は相変わらずレーンを見て何かを考えている。
辺見「もっと厚め狙った方がいいのかな?」

ボールが戻ってくる。辺見がボールを持つ。

青木「集中!」

少し苛立った様子の辺見、ボールを構える。

青木「集中!」
辺見「あのさ、さっきから思ってたけど、それやめてくんない?逆に集中できない」
青木「すいません、野球部だったもんで」

辺見が投げる。ガーター。辺見が席につき、青木がボールを持つ。辺見はわざとらしく手を叩く。
辺見「集中!」
青木が投げる。ストライク。青木を睨みつける辺見。辺見が再びレーンに戻る。
梶と真鍋がやってくる。

梶「あれ?辺見さん惨敗じゃないっすか」

からかう梶を青木がたしなめる。3人は無言になり、梶は辺見の座っていた椅子に座る。
辺見が投げる。微妙な当たり。

青木「今日レーンのコンディションあんま良くなくて」
梶「でも青木さんハイスコアじゃないですか」
青木「いや、俺はたまたま」
辺見「今日全然ダメだわ、もう10ゲーム目なんだけど」
梶「えっ、10ゲームもやってんすか!」
青木「辺見さん、勝つまでやめないって聞かなくて」
辺見「いや、でもさすがに限界。もう握力残ってないもん。勝っても負けてもこれで終了」
梶「ていうか、まだ勝つ気でいるんですか?」
青木「いや、まだ分かんないよ。ラストパンチアウトすれば一発逆転もありえる」

辺見がボールを構える。

梶「よっ、お願いします!」

当たらない。
全員が下を向く。辺見が席に戻ってくる。梶は辺見の後ろで真鍋と顔を見合わせながら笑っている。

辺見「そういえば、最近どうなの?」
梶「え?」
辺見「いや、研修。上手いこといってる?」
梶「まぁぼちぼち。いつもと変わんないっすよ」
真鍋「それなりに使えるやつもいれば、そのまた逆もいる感じです」
辺見「まぁ元々がゴミみたいなヤツらの寄せ集めみたいなもんだから、1人でも使えそうなやつがいればラッキーだよ。それよりも躾だけはしっかりしとけよ。とち狂って警察に駆け込まれたりしたらシャレになんないから。まぁ重々承知だろうけども。最近のガキは何考えてんのかさっぱり分からんからねぇ。平気で親に泣きついたりするから。昔の不良の流儀ってやつを全然分かってない。この世界に飛び込む覚悟ができてないんだよ。まぁ、上からすれば、俺らも似たようなもんなんだろうけど」
梶は苦笑いする。

青木が投げる。辺見の番が来て、立ち上がる。

辺見「そういえばお前さ、なんか変な噂たってるけど」
梶「へ?」
辺見「俺たちの親裏切って新しい店、構えようとしてるって」
梶「いやそんなわけないじゃないっすか、誰から聞いたんですか、そんなデマ」
辺見がボールを持つ。青木はレーンを観察している。
青木「辺見さん、厚め狙っていった方がいいっす」
辺見「いや俺も信じちゃないんだけどね、そんなデマ。お前、コイツのパートナーとして、なんか聞いてない?」
真鍋「いや何も」
辺見「気悪くしたらごめんね、ほら俺臆病だから、色々予防線張ってないと上手く眠れないんだわ。お前もこの世界長いんだから、親裏切った奴がどうなるか見てきただろ?」
梶「はぁ」
辺見「分かってるよ、俺もお前と長年連れ添ってきたわけだから。お前がそんなに無謀なやつじゃないことくらい」

辺見がレーンの前に立つ。
辺見「で、俺が勝つ確率はあとどれくらい残ってるの?」
青木「ラストパンチアウトでもすればですね」
辺見「それほとんど無理じゃねえか」
青木「いやまだ分かんないっす」
梶「辺見さん」

辺見がボールを構える。

梶「辺見さん!」
辺見「うるせえな!今ボウリングの時間だろ!」

梶が黙る。
辺見が2投目を投げる。良い結果。

青木「おお!」
辺見「やっぱ厚め狙って正解だったな」
青木「厚め狙って正解でしたね!」
辺見「あ、お前らもやってく?次のゲーム」

辺見が戻ってくる。梶の隣の椅子に座り、梶の席の前にあった飲み物をとって飲む。

辺見「道具屋の赤羽。お前ちょこちょこ相談してるだろ」
梶が顔を上げる。
辺見「なに?バレてないと思った?」
梶「いやあれは」
辺見「ダメだよ、アイツはオーナーの犬なんだから、アイツに話したことは100%オーナーの耳に届いてると思った方が良い。おかげで俺が怒られちゃったよ。指何本か詰められそうになったんだから」
青木が笑っている。
辺見「コイツずっとくすくす笑いやがって」
青木「いや笑ってないっす」
辺見「気持ちは分かるよ、俺も昔同じこと考えから。当然だよ、男なら誰でも上目指すもんだ。親出し抜いて自分だけの城が欲しいわな」
梶「いや俺は」
辺見「でもな、これは老婆心っていうか、アドバイス。最近わかったことなんだけど、俺たちにはどうしても超えられない壁がある。ほら、あの人たち僻みっぽいから。一見さん絶対お断り。京都の老舗の料亭より融通が効かない。だから今を楽しみなさいよ。そこそこ稼いでんでしょ?ま、なかなか自由には使えない金だけど。あ、今何乗ってんの?まだベンツ?田舎臭えからやめとけって」

青木が投げて戻ってくる。

青木「辺見さん、ラストお願いします。もう勝てる可能性ないですけど」
辺見「ええ⁉︎」
青木「すいません、今のスペアで決まっちゃいました。もうパンチアウトしても追いつけないっす」
辺見「それもう投げる意味ないじゃん、あーあ、やる気なくなっちゃった」
青木「そんなぁ、辺見さん投げないと終わらないじゃないですか。お願いしますよ」
辺見「真鍋、代わりに投げて」

真鍋と梶は固まっている。

辺見「いいから、さっさと終わらせてみんなで肉でもパーっと食いに行こう」
真鍋は梶の方を伺い、梶が頷く。真鍋が辺見のボールを持つ。
辺見「俺のボールは使うな!」
真鍋はボールを置き、青木の使っていたボールを手に取る。
辺見「いやそれ結構精密に作ってるから、誰にも触られたくないんだよね」

真鍋が投げる。ストライク。
テーブルの方には梶と辺見だけが残っている。

辺見「そういや親父さん、もう長くないらしいな」
梶「はい?」
辺見「いやこっちの家業の親じゃなくて、お前の本当の親。船橋にある実家の」
梶は呆然としている。
辺見「3年前に膵臓だか肝臓だかに癌が見つかったって。その時は一命を取り留めたらしいんだけど、今じゃあちこち転移しちゃって医者も白旗らしい。もってあと数年だって。しばらく帰ってないんだろ?良い機会じゃない、たまには顔見せてあげたら?」

真鍋が2投目を投げる。連続でストライク。

辺見「ダブル!」
青木「真鍋くんすごいね」

真鍋は辺見と梶の方を気にしながら、ボールを構える。

辺見「あとお前の姉ちゃん、バツイチ出戻り。今実家の肉屋を継いで青息吐息で頑張ってます。その息子、中学1年生、バドミントン部所属。いやさ、将来もっと金になりそうなスポーツ選べばいいのに」
辺見と青木が笑っている。
梶「なんでそんなこと知ってんすか?」
辺見「調べたから」
梶は立ち上がる。
梶「ずっと一緒にやってきたじゃないっすか」
辺見「いや、悪いけど、俺お前のこと信用してねえから。いやお前だけじゃなく全員。世の中そういう仕組みだから。みんな自分のことしか考えてない。もう十分思い知った。いや俺臆病だから」

 

暗転。

 

ステージ下部にリビングダイニング。

下手側にはキッチンとダイニングテーブルと4脚の椅子。上手側にはソファとローテーブル、テレビのリモコン。テレビが点いているのが音で分かる。母・小川節子はダイニングテーブルの椅子に座り、とうもろこしを食べている。父・一郎はソファでテレビを見ている。机には朝ご飯。奥は玄関。リビング付近に階段があり、2階と繋がっている。

姉・美紀が奥の玄関からスマホを耳につけたままリビングに入ってくる。何やら電話の相手に向かって怒っている。

美紀「だから、届けたのはおたくですよね?いやだから、別に責めてるわけじゃないんですけど、私は事実関係をハッキリさせたいだけで」
一郎「なにを朝からごちゃごちゃやってんだ」
美紀「だからなんでそこでAmazonが出てくるんですか?いや、たしかにAmazonAmazonですけど。たしかにAmazonAmazonですけど」
一郎「アマゾン?アフリカの話か?」
美紀「私も今探してるんですけど、ていうかそんなものなくたっておたくに記録が残ってるんじゃないですか?」

美紀は何かを探しながら玄関の方へ去っていく。

節子「アマゾンはアフリカじゃなくてブラジルじゃない?」

2階から梶が降りてくる。
美紀が戻ってくる。
美紀「担当者に変わります⁉︎えっ、担当者に変わります?え、じゃあ私今まで誰と喋ってたんですか?私結構長いこと喋ってましたよね?」
一郎「うるせえな、テレビが聞こえねえじゃねえか」
美紀「じゃあおたくには非がないってことですか?今そういう言い方しましたよね?いや、今、そういう言い方しましたよね?」

梶は美紀の方を見て少し笑う。
美紀はキッチンでタバコを吸い始める。

美紀「いつまで待たせんのよ、あのおっさん。午前中に洗い物済ませて市役所行こうと思ってんのに」
節子「市役所行くんだったら私も行こうかしら。いや、住民票の写しを取りに行こうと思って」
美紀「なんで?え、なんで?」
節子「なんかの会員になるために必要なのよ」
美紀「え、なんの会員?」
節子「なんの会員だったか忘れちゃったけど」

梶は節子と美紀のやりとりに少し笑う。
一郎「聞いても無駄だ、何も覚えていやしねえ、もう耄碌しちゃってっから。昨日も夜トイレ行こうと思って起きたらキッチンから真っ黒な煙が上がってて、慌てて火を止めたから良かったものの、俺がもしトイレで起きてこなかったら危うく火事だったんだから、今頃お前ら死んでたぞ」
節子「コーンスープ飲もうと思って。鍋に火をつけたの忘れちゃったのよ」
一郎「夜中にコーンスープなんか飲むな!夜中にコーンスープなんて飲む日本人聞いたことねえぞ、イギリス人でも飲まねえよ、夜中にコーンスープなんて!」
梶「え、なんの話?」
節子「仕方ないじゃない、小腹が空いちゃって、カップ麺食べようかと思ったけど、それだとちょっと胃にもたれるから、粉末のコーンスープ飲もうと思って」
一郎「それでなんで鍋に火つける必要があんだ、ポットのお湯使えばいいだろ!」
節子「夏場はポットにお湯入れてないの!何も知らないくせに人を老人扱いしないでよ!あたしまだ耄碌なんてしてない。カボチャだって切れるんだから。あんたカボチャ切ったことないでしょ!カボチャってすっごく硬いんだから!危ないのよ、それで昔女優さんが怪我したんだから!」
梶「え、今なんの話?」
節子「ご飯食べたの?」
一郎「いや俺はもう」
節子「冷蔵庫にパン置いてあるから、もしあれだったらトースターでアレして食べて」
梶「いや、いい。お腹空いてない」
節子「とうもろこしもあるのよ、これ、佐竹さんのとこで取れたやつ」
梶「佐竹さん?」
節子はとうもろこしを食べ続けている。
梶「え、佐竹さん?」

美紀「えっ、担当者がいない?担当者がいない?それは担当者が不在ってことですか?それともそもそもそういう人がいないってことですか?あっ、ビックリしたぁ、そうですよね、不在ですよね。いや、そういう会社かと思って。いや、そういう部署がない会社かと思って!」
一郎「何ごちゃごちゃやってんだ。貸せ、お前女だから舐められてるんだよ」
美紀「それでいつお戻りになるんですか?いや、戻る時間がわかったらこっちから掛け直そうと思って」
一郎「だから貸せって」
美紀「じゃあもういいです!私も忙しいんで。こっちもいつまでも電話してるわけにいかないんで。だからAmazonは関係ない!そりゃAmazonが悪いことだってありますよ。私もそれは何度か経験してます。でも今回ばかりはAmazon悪くないと私は思います!」

美紀は電話を切る。

梶「宅急便?」
美紀「何を聞いてものらりくらりで。何考えてんのかねぇ、ああいう人たちは」
節子「責任取りたくないのよ」
美紀「別に私は責任とかじゃなくて。ただ送られてきたワイングラスがちょっと欠けてただけだから」
梶「え、姉ちゃんワインとか飲むんだ」
美紀「いや、ワインって言っても高級なやつじゃなくて、格安に売ってるようなそういうやつ。なに?」
梶「いや、発泡酒のイメージしかなかったから、ちょっと意外っていうか」
美紀「そりゃ私だってワインくらい飲むわよ」
梶「ふーん」

節子が梶の方を向く。

節子「今日泊まっていくの?」
梶「いや、もうぼちぼち帰ろうと思って」
節子「泊まっていくならお寿司取ろうと思ってたんだけど、ほら、あのワカバさんとこの」
梶「ワカバさん?」
一郎「あそこはダメだ、シャリがデカすぎてすぐ腹いっぱいになっちゃう」
節子「じゃあどこ?」
一郎「そうだな、タチバナさんとことか良いんじゃねえか?」
節子「ええー、私あそこ嫌い。出前のお兄さんが感じ悪いんだもの」
一郎「出前のお兄ちゃんは関係ねえだろ、寿司が美味けりゃそれでいいんだ」
節子「でも、見た目もなんか不潔だし、ちょっと近づくとすごく汗臭くて」
一郎「そいつが寿司握ってるわけじゃねえんだから」
節子「でも生モノだから気持ち悪いじゃない?おつりだって汗でビッチョビチョの時あるんだから」
梶「そうなんだ」
節子「あの男の子って浩一と年同じくらい?」
一郎「いやぁ、もっと若いだろ。まだ20代かそこらじゃねえか?」
節子「えー、20代?」
一郎「俺一回パチンコ屋で会ったことあるんだ。『小川さーん!いつもお世話になっております!』って甲高い声で話しかけてきやがって、恥ずかしいったらありゃしねえ。ヤクザじゃねえんだからそんな挨拶やめてくれって言ったんだけど」
節子「あれ?マロンちゃんどこ行った?」
梶「マロンちゃん?」
節子「猫。もう住み着いて5年くらい?元々野良だったんだけど、餌あげてたらいつのまにか住み着いちゃって。今じゃこの家で一番大きな顔して暮らしてる。あれ?浩一は見たことなかったっけ?あの子、知らない人がいるとすぐ隠れちゃうから」
梶「そうなんだ」

一郎はキッチンでタバコに火をつける。

節子「ちょっと、タバコやめてってお医者さんに言われてるでしょ?」
一郎「1日3本。これまだ1本目」
節子「そんなの誰が決めたのよ」
一郎「3本くらい吸ってる内に入んないから」
節子「誰が言ったのよ、そんなこと。あなたが勝手に言ってるだけでしょ?」
一郎「あー!ごちゃごちゃごちゃごちゃうるせえな!これタールが1ミリしか入ってないの。ほとんど味しないけど我慢して吸ってるの。こんなの吸ってるうちに入んないから!」
梶「お父さん昔ハイライトだったもんね」
節子「駅前にコンビニあるでしょ?」
梶「あー、あそこ元々クリーニング屋さんだったよね」
節子「この人そこで隠れてお酒飲んでんの。お医者さんに止められてて家で飲めないからって、コンビニの駐車場で飲んで帰ってくるの。本人は何食わぬ顔で戻ってくるんだけど、顔真っ赤にして足元フラフラで、もうバレバレ。それであたしと美紀が『お父さんまた飲んだでしょ?』って問い詰めたら、飲んでないって言い張るの。バカみたい。バレてないわけないじゃない」

節子が立ち上がってリビングを出ていく。
梶「え」
節子「おトイレ」

一郎はテレビに怒っている。
一郎「まーだ戦争やってんのか、中国のバカ!どいつもこいつもバカばっかりだ!」
テレビを消し、リビングを出る。梶は一郎の方を見ている。

一郎「散歩」

一郎が玄関に消える。

一郎「泊まれるなら泊まってけ、母さん喜ぶから」

梶だけがリビングに残る。冷蔵庫の横で立ち尽くし、周りを見渡す。
美紀が戻ってくる。

美紀「あれ、誰もいない」
美紀は一郎の座っていたローテーブルのあたりに立つ。
美紀「お父さーん、食べないなら捨てちゃうよ。早く洗い物済ませたいから」
梶は玄関の方を見る。
美紀「はぁ、誰もいない」
梶「俺はいるけど」

美紀は一郎の使っていた皿を持ってキッチンに立ち、皿に残っていたものを捨てる。

梶「いや、しばらく見ない内にもう完全な老人じゃん。いやもちろん、俺もそれなりに年取ったけど」
美紀は洗い物を始める。梶はソファの肘掛けに腰をかける。
梶「息子、もう中学生?まだ会ったことないな。あ、今学校か。部活とか入ってんの?運動部?」
無言。
梶「なに、怒ってんの?」
美紀は洗い物を終えて手を拭き、梶の方に向かってくる。
美紀「客観的な意見を聞きたいんだけど、ウチのコロッケ今70円なの。来週から20円値上げして90円にしようと思ってるんだけど、あんたどう思う?」

 

暗転。

 

ステージ下部はいつもの詐欺グループの店。研修生たちが地べたに座り込み、カップ麺やコンビニのパンを食べている。
ステージ上部はそのビルの屋上。下手側にパラソルとテーブルに椅子が4つ。若林と辺見が座っている。青木はうろうろしている。真鍋はBBQ用のグリルの前に立って肉やとうもろこしを焼いている。
屋上側が明るくなる。ヘリコプターの音。

辺見「えらい低いとこ飛んでくんだね。なに、自衛隊?」
真鍋「この時間いつも訓練かなんかで、この辺旋回してるんですよ」
辺見「自衛隊のみなさん、お疲れ様です!昼間っからシャンパンなんて飲んでごめんね」

若林がゲラゲラ笑う。

辺見「あなた方が守ってくれているおかげで、この国は平和です。おかげで国民がすくすくとアホに育っております。おかげさまで大金稼がせてもらってます!いつもありがとうございます!ほら、お前らも」
青木「ありがとうございます!」
若林「あざまーすっ!」

辺見が肉を焼いている真鍋の方に近づいていく。
辺見「日本最高。パラダイス」
若林「辺見さん、もうシャンパンなくなっちゃいました。もう一本開けます?」
辺見「いやいい、泡系はもうお腹いっぱい。ワイン開けといて」
辺見が席に戻り、青木が真鍋の方にやってくる。

青木「真鍋くんどう?肉、まだ食べれそう?」
真鍋「いやぁ、自分はそろそろ」
辺見「だから言っただろ、お前買いすぎだって」
青木「いやでも、俺興奮しちゃって。あんなに興奮したの人生で初めてっすよ!真鍋くん行ったことある?コストコ
真鍋「コストコ
青木「あそこもう日本じゃない」
辺見「アメリカ」
青木「そうアメリカ!幕張まで行ってきたんだよ。俺昨日あんまりよく眠れなかったから、正直辺見さんに誘われた時めんどくさいなぁって思ってたんだけど」
辺見「おい」
青木「いやでも!行ってみたら本当に楽しくて、大人気なくはしゃいじゃいました。だって食材も飲み物もお菓子も洗剤も全部が馬鹿でかい!おかげで洗剤とかキッチンペーパーとか全然いらないものまで買っちゃった。牛肉もこんなデッカい塊で売ってて」
若林「幕張って、幕張メッセ?」
辺見「確かにあんなはしゃいでる青木初めて見たよ」
青木「だって全部が馬鹿でかいから!」
辺見「お前何回言うんだよそれ」
若林「いいなぁ、俺も行ってみたいな」
青木「行こうよ!みんなで。今度でっかいハイエース借りて」
辺見「お前どんだけ買うつもりなんだよ」
青木「辺見さんのポルシェじゃダメです」
辺見「は?」
青木「あそこはあんな車で行くところじゃないんで」
若林「え、そこって、家電とか売ってます?」
青木「家電?」
若林「いやなんか、最近ドライヤー壊れちゃって、Amazonとかで探してるんですけど、全然いいのがなくって」
辺見「家電なら2階にあったよ」
青木「え、辺見さんいつのまに2階行ってたんすか!」
辺見「いやお前が1階で夢中になってはしゃいでる間に、ちょっと2階も見てみようと思って」
青木「ズルい!」
若林「じゃあ今度2階も行きましょうよ」
青木「そうだな、今度は2階を中心に攻めていこう」
若林「え、でも俺1階も見て回りたいっすよ」
青木「そんな、欲張りだよ?幕張のコストコ舐めちゃいけないよ?1階も2階もなんて見て回れないよ〜」

青木が若林にふざけて抱きつき、2人がゲラゲラ笑っている。
突然中年男(赤堀)が屋上に入ってきて、2人は黙る。

中年男「あの、ここは誰のビルですか?」

全員が中年男を不審な目で見ている。

中年男「ここは誰のビルですか?」

 

照明が下のステージの方へ切り替わる。
望月だけが電話をかけている。それ以外は食事を取っている。カップ麺やパンを食べている。
息子が事故に遭ったと聞かされた電話先の女性がパニックになり始め、会話がままならない。
望月「お母さん、ちょっと落ち着いてください。お母さん!お母さん!」

 

照明が屋上へ。

中年男「ここは誰のビルですか?」
辺見「いやあの、どちらさん?」
中年男「ここは私有地ですか?」
辺見「まぁ一応、ここは我々の上司が所有するビルですので、この屋上は私有地ってことになります」
中年男「チッ」
辺見「ええー?」
中年男「あ、いや、せっかく良い場所見つけたのになと思って」
辺見「で、どちらさん?」
中年男「私下のクリニックに通ってる者です。昼から肉ですか。羨ましいなぁ」
青木「あの、良かったら肉食べて行きません?肉買いすぎちゃって」
辺見「青木」
真鍋が中年男を睨むようにしながら近づいていく。
真鍋「ちょっと今、身内だけでやってるんで」
中年男「いやそんなこと分かってますよ。僕が見知らぬ人間とご飯食べるような人間に見えますか?怒りますよ」

中年男「いやだから、怒りますよ」
真鍋「は?」
中年男「怒りますよ!」
若林「おいおっさん、ここは私有地だって言ってんだろ。分かったならさっさとでてけ。じゃないとこっちもいつまでも穏やかじゃいられねえんだわ」
辺見「いいから、静かにしてろ。すいません。ゆっくりしてってください」
中年男「一服しても良いですか?」
若林「テメェ調子乗ってんじゃねえぞ!」
辺見「だからお前は黙ってろ!どうぞ一服してってください。最近はどこもかしこも禁煙で、愛煙家には肩身の狭い世の中ですもんね」

中年男がタバコを吸い始める。
辺見もその横で電子タバコを吸い始める。

辺見「ここ、冬になると富士山見えるんですよ。あそこのビルとビルの間に。あ、でもマンション建ったから見えなくなったんだっけ?」
真鍋「いや、ちょっと分かんないっす。すいません」
辺見「でも前は絶対見えたんですよ」
中年男「8月には噴火するらしいですね」
辺見「はい?」
中年男「いや、富士山」
辺見「いやそれは、都市伝説レベルの話でしょ?」
辺見と若林と青木がくすくす笑っている。
中年男「そうなんですかね」
辺見「そりゃそうでしょ。もし本当だったら今頃富裕層なんか東京離れて海外に逃亡してますよ」
中年男「でももし本当にそうなったら、楽しみですね」

中年男は吸い終わったタバコを落とし、靴で踏みつけて去っていく。
入れ替わるように梶が入ってくる。

 

照明が下のステージへ。
望月だけが電話をかけている。他は全員食事を取っている。
電話相手から電話を切られる。それを見ていた男が笑う。

望月「なんですか」
「いや、望月さん頑張ってるなと思って。もし男が必要だったらいつでも言って?駅員とか警察とか」
望月「今の所大丈夫です」

望月、再び電話をかけ始める。


照明は屋上へ。

辺見「浩一、全然来ないから心配しちゃったよ私」
梶「下の名前で呼ぶの、やめてもらっていいですか?ていうかなんなんですか?あの人」
辺見「ちょっと寄り道してきただけだよ。誰だって寄り道したい時はある」

梶が若林を見つける。
梶「てか若林、おめえなんでここにいんだよ、まだ仕事中だろ」
辺見「いやごめん、俺が誘ったの」
梶「どういうことですか」
辺見「いや、この子俺の知り合いで、頑張ってるかなぁと思って、それで俺が呼んだんだよね」
梶「どういうことですか」
辺見「道玄坂によく行くバーがあって、お前も行ったことあるよ、オカマのやってる、ほら、妖怪みたいなおばあさんのいる、おじいさん?」

若林が首を横に振る。

辺見「おばあさん」
梶「はぁ」
辺見「そこでたまたま会って、なんかその時悩んでたんだよね?ほら、若者だから、若者特有の人生への葛藤ってやつ」
若林「そんなんじゃないっす」
辺見「とにかくまぁ悩んでるみたいだったから、それじゃあちょっとウチ来てみたら?って話になって、それでまぁ、今に至る」

梶は納得していない。真鍋が代わりに怒る。
真鍋「ちゃんと説明してください!」
辺見「ごめんごめんごめんごめん。今なんかほろ酔いで、余計なことばっかり喋っちゃって。いや、よくよく聞くと、彼安西さんとこの若頭の息子さんらしいのよ」
若林「正確に言うと親父と愛人の息子っす」
真鍋「そう、でも腐っても鯛だから」
若林「腐ってないっす」
辺見「腐ってない、言葉の綾。それで本人もゆくゆくはヤクザの世界に戻る気があるみたいだから、盗んだバイクで走り出す的な」
若林「盗んでないっす」
辺見「盗んでない、これも言葉の綾。若者の葛藤の表現」
梶「だからなんなんですか」
辺見「だからよろしくお願いしますって」
青木「社会見学みたいなもんだよ」
梶「すいません、俺もう帰っていいっすか?まだ仕事残ってるんで。コイツ以外のみんな今下で必死に電話かけてるんすよ。まだ成果上がってないんだろ?」
真鍋がうなずく。
梶「俺がいてやらねえと、ちょっと心配なんで」
辺見「青臭いな、相変わらず青臭いよ」
梶「真鍋、いくぞ」
辺見「浩一!座れよ、いいから座れって。座ってくださいよ、これ一生のお願い」
青木がポーチから拳銃を出し、梶と真鍋の方へ向ける。
辺見「ちょっと、そんな物騒なもん出すなって。ていうかお前、それ持ってコストコであんなにはしゃいでたの?気狂ってんね」
青木「すいません」
辺見「まぁワインでも飲めよ。ロマネ・コンティ、結構奮発したんだから」
若林「えっこれロマネっすか⁉︎うわぁ、俺全然知らずにガバガバ呑んでました」
辺見「いいから。いや、安藤さんとこから直々に電話があってね、クレームが入ったんだよ」
若林「なんすかそれ」
辺見「お前には関係のない話。我々のような下々には関係のない話。上の方でメンツが立つとか立たないとか色々あるみたい。ほら、安西さんとこ昔気質だから。でも子供は可愛いから、愛人の子であっても等しく可愛いから。それで本人もゆくゆくはヤクザの道に戻りたいと申しております。そうですか、わかりました。ではそちらで面倒を見ていただけないでしょうか?もちろんです。立派な不良に育ってて見せます。わかりました。それでは一つよろしくお願い申し上げますと、若頭は溜飲を下げて電話を置きました。お後がよろしいようで」
梶「だからなんですか?」
辺見「だから、引き続きコイツに社会を教えてやってくださいよ」
若林「いや俺、辺見さんにはほんと感謝してて。家飛び出してホストとかやってコツコツ働いてたんですけど、なんかこのままの人生で良いのかなぁって悩んでたら、そしたら偶然辺見さんと会って、年収1億も夢じゃないって言うから。真面目にコツコツ働いてきて本当によかったなって。マジで神様いるなって」
辺見「神様なんていないよ」
若林「いますよ。ていうか俺、辺見さんのことマジで神だと思ってます、いや自覚ないかもしれないですけど、辺見さん、俺にとって結構神っす」
辺見「お前からも改めて挨拶しとけ」

若林が立ち上がって梶の方に近づいてくる。

若林「あの俺、正直詐欺ってちょっと舐めてましたけど」
青木「おいおい」
若林「いやでも、梶さんの下で色々学ばせてもらって、詐欺って大変なんだなって。だから研修も残り数週間?ですけど、頑張りたいなって。俺辺見さんにはマジで感謝してて。だから、俺もいつか辺見さんの下で店長やってみたいなと思ってて、なのでよろしくお願いします」

梶は持っていたバッグを投げ捨て、若林を殴る。

若林「いってぇ!なにすんだてめぇ」
真鍋「梶さん!」

梶は這いつくばる若林を蹴る。

若林「たすけて」

若林は椅子に捕まって立ち上がろうとするが、梶がその椅子を持って、仰向けになってしまった若林の首元に椅子のパイプを押し付ける。

真鍋「梶さん!」

真鍋が梶を後ろから引き剥がし、再び若林に向かっていこうとするのを止める。2回止められたところで梶は殴りかかるのをやめ、若林を睨む。若林は血だらけになっている。

辺見「浩一!てめぇが何やったか分かってる?」
梶「見損ないましたよ、辺見さん。もう縁切りましょう」
辺見「何言ってんの?」
梶「俺、コイツとゼロから始めてみます」
辺見「青臭いにもほどがあるよ!俺はお前のためを思って」
梶「行くぞ」

梶は屋上から去っていく。真鍋は梶が投げ捨てたバッグを拾って、辺見を睨んで去っていく。
ヘリコプターの音。

辺見「うるせえな、さっきからぐるぐるぐるぐる。無意味なことはやめてくれよ!」

 

照明が下のステージへ。
望月だけがまた電話をかけている。市役所の職員を名乗るが、疑われ始める。電話を切られる。
それを見ていた男がくすくす笑う。

望月「他人の失敗がそんなに面白いですか?」
「いや、そんなんじゃなくて」
望月「さっきからなんでチラチラ見てるんですか?もしかして梶さんか誰かから私を監視するように命令されてるんですか?」
「そうじゃないよ。俺はただ、望月さんのことが心配で。お昼ご飯も食べずにずっと電話かけ続けてるから」
望月「他人の心配してる暇があったら自分の心配したらどうですか⁉︎」
全員が望月の方を見る。
望月「あ、大声出してごめんなさい」
原田「あの、窓開けよっか?ほら、ずっとこんなところに居たら息詰まっちゃうし。換気しないと」
望月以外がうなずく。
望月「大丈夫です」
原田「え?」
望月「窓開けないでもらっていいですか?もうちょっと電話したいんで」
原田「いやでも」
望月「ていうかみなさんそんなに悠長にお昼ご飯食べてていいんですか?まだ誰も成功してないですよね?そんなんで借金返せるんですか?この先やっていけるんですか?一生このままでいいんですか?私は嫌です!詐欺でもなんでもいいから成功したい!お金持ちになって今までバカにしてきた人間たちを見返してやりたいんです!」
「そんなにお金が欲しいなら、風俗でも行けば?」
くすくす笑う。望月が近づいていく。
望月「私これでも一応元風俗嬢です。それでダメだったから今ここにいます。私こう見えて結構終わってる人間なんです」
「終わってるのは君だけじゃないよ。ここにいる時点でみんな多かれ少なかれ終わってるから」
望月「すいません、余計なこと喋っちゃって。私別にみなさんと傷の舐め合いがしたいわけじゃないんで」
パソコンを持っていた男が喋り始める。
「あの、一応俺は、少額ですけど、成果上げてます。いや俺口下手だから、架空請求とかでちょっとずつですけど、コツコツ地道にやってます。あ、もちろん梶さんが掲げるような金額には到底及ばないんですけど」
望月「へぇ、そうなんですか」

「そういえば、若林来てないね」
「あいつ、なんか幹部候補生らしいよ」
「え?」
「いやこの前、なんとなく気が合いそうだったから飲みに誘って、駅前の魚民で飲んでたんだけど」
「この場所以外での交流は禁止されているはずです」
「いや、そうなんだけど、でもずっとこんな場所に閉じ込められて電話かけ続けてたら喉もカラカラじゃん?だからビールでも飲もうと思って。そしたらアイツ、聞いてもないのにペラペラ喋り出して。ヤクザの息子なんだって。だから今頃アイツ、青空の下でシャンパンでも飲んでるよ」
「ヤクザの息子」
原田「エリートか」
「俺たちとは住む世界が違う」

望月が再び電話をかけ始める。周りも昼食を置いて、徐々に仕事に戻り始める。全員が電話で話す。
梶と真鍋が戻ってくる。

梶「いいかお前ら!無理はするな。危ないと思ったら引き返せ。自分の勘を信じろ。相手を騙すんじゃない、自分を騙すんだ。お前らは何者でもない。逆に言うと何者にでもなれる、そういう可能性を秘めてるんだお前たちは!」
真鍋「梶さん、もうそろそろ限界です!」
梶「ああ?」

望月「梶さん!」

全員が手を止める。
望月は固定電話の前に置かれたボロボロの椅子に座る。
電話がかかってくる。
望月は法律事務所の人間を名乗り、相手に今日中に120万円振り込むように伝える。電話が終わる。
梶は机に両手をつき、望月の方へ身を乗り出す。

梶「よくやった、よくやった!」

研修生たちが拍手し始める。望月は涙を流している。
梶は真鍋の方に笑いながら近づいていく。

梶「まだ何も終わっちゃいねえ」

 

暗転。

 


ステージ上部は夜の公園。ベンチが真ん中にあり、その横にゴミ箱がある。

ステージ下部は道路。手前に車道があり、奥にガードレールで区切られた歩道がある。上下が錆びた階段でつながっている。
節子はベンチに座っている。美紀が電話をしている。

美紀「あ、もしもし、あんた今どこ?商店街?商店街ってちっちゃい方の?あぁ、そこはもう探した。カワバタさんにも一応話通してあるし。だからそこももういいから。とりあえずあんた一回こっち戻ってきて」

電話が終わる。
節子「浩一?」
美紀「そう、あたしたちと同じとこばっかり探してる。同じとこばっかり探しても意味ないじゃん。例えばお母さんは家の近所、私は商店街周辺、浩一は公民館のまわり、みたいにちゃんと作戦を立てて、手分けしてしらみ潰しに探していかないと。お父さんは一体どこほっつき歩いてるのかね」
節子「あの人が猫なんて探すわけないじゃない。あの人はマロンちゃんのことなんか1ミリも考えてないんだから。どうせまたコンビニでお酒でも飲んでるよ。だってあの人、この前マロンちゃんのこと足で蹴飛ばしたんだから。自分が通るところにマロンちゃんが寝てたから、足でどかしたのよ!」
美紀「蹴飛ばしたわけじゃないんでしょ?」
節子「でも、足でどかすことないじゃない。相手は気持ちよさそうに寝てるんだから、跨ぐなり、遠回りすればいいわけで、何も起こさなくったって」

美紀の電話が鳴る。電話を取る。

美紀「もしもし、カワバタさん?え?見かけました?ウチの猫」

節子が嬉しそうに立ち上がる。

美紀「はい、茶色といえば茶色です。はい、茶色といえば茶色です。いやだから、よくあるシマシマの」

一郎がコンビニの袋を提げて公園に入ってくる。

一郎「なんだ、見つかったのか?」
美紀「首輪の色は」
節子「赤、赤よ」
美紀「今日は赤みたいです。鈴?鈴はついてません。だから、鈴はついてません」
一郎「見つかったのかって聞いてんだよ!」

怒鳴る一郎に耳を塞ぎながら美紀は公園の端に移動する。

美紀「ごめんなさい、え?いや、ワンちゃんじゃないです。猫。私たちが探してるのはワンちゃんじゃないです、犬じゃないです」

梶が下の道路から歩いてきて、階段を上がって公園に入ってくる。

美紀「写真お見せしましたよね?いやだから、猫。ねーこ。そうなんです」
一郎「カワバタのジジイか」
美紀「はい、また見かけたらよろしくお願いします」

電話が切れる。

一郎「カワバタのジジイか、あんなのに声かけたって意味ないだろ」
美紀「いや一応、商店街の会長さんだから。念の為、話通しておこうと思って」
一郎「あんなの置物と一緒じゃねえか。ほとんど死んでるようなもんだ」
節子「それよりあんた、どこ行ってたの?」
一郎「いやどこって、その辺歩き回って探してたんだよ」
美紀「どの辺り」
一郎「どの辺りって、佐藤さんとこまで行って、タイヤばっかりの公園も通って」
節子「そんなとこいるはずないじゃない」
一郎「わからないだろ!」
美紀「それで?」
一郎「それで、公民館の方までぐるーっと回って、ここに戻ってきたんだよ」
美紀「それでどうやってコンビニ寄れるの?それ、なんか買ってるよね?」
一郎「いやだから、それは家を出てまず一番はじめに駅前のコンビニに行ってだな」
節子「バカみたい」
美紀「もういい、今内輪揉めしてる場合じゃないから。1秒も無駄にしたくないから。こんなこと言いたくないけど、猫って車に轢かれたりして結構簡単に死んじゃうから」
美紀「そんなこと言わないでよ」梶「俺、一応神社の方まで足伸ばそうか?」
一郎「いやぁ、さすがにそこまでは行ってないだろ」
梶「あの辺、車の通り多いから、それまでには食い止めたいよね」

節子「マロンちゃん、餌残してたから、今頃お腹空いてるんじゃないかしら」
一郎「元々野良なんだから、その辺のコオロギとかバッタとか捕まえて食べてるだろ」
節子「そんなの食べるわけないじゃない!」
一郎「だから心配するなって言ってんだ。子供じゃないんだから、腹が減ったらその辺の虫でも食うし、トイレがしたくなったらその辺の草むらでするし、危ないと思ったら自分で逃げるだろ」

梶「あのさ、元々どこで拾ってきたの?」
美紀「え?」
梶「いや、野良だったんでしょ?だったら、元いた場所に戻ってそうなもんじゃない?」
美紀「あぁ」
美紀がベンチに座る。
梶「え?」
節子「いや、あたしたちもね、そう思って探してみたんだけどね」
美紀「元々ウチで生まれたようなもんだから。駐車場のところに捨てられてて。気がついたら親猫もいなくなって。最初は5匹いたんだけど、どんどん減っていって、気づいたらマロン1匹になってて」
一郎「カラスに食われたんだ」
美紀「それでマロンちゃんだけウチの庭で遊び回ってたから、試しに餌を置いてみたら、よっぽどお腹が空いてたみたいで。あたしたちが見てると食べないんだけど、あたしたちが目を逸らすとそーっと近づいてくるの。だるまさんがころんだみたいに。それでバッと振り返ると、また動かなくなって。面白くって何度も繰り返してたんだけど」
節子「可哀想だからもうやめようって。それであたしたちが遠くから見てたら、バクバク食べ始めて。もうとっくになくなったお皿をいつまでも愛おしそうに舐めてるもんだから」
美紀「ほんと、可愛かった」

梶「ごめん、俺のせいかもしれない」
美紀「なんであんたのせいなのよ」
節子「確かに知らない人がいると怖くて隠れちゃうけど、別に浩一のせいじゃないわよ」
美紀「網戸が空いてただけだから。リビングの網戸が開きっぱなしになってただけだから」

美紀と節子が一郎を見る。梶も釣られて一郎を見る。

一郎「えっ、俺?」
美紀「いや別に、お父さんのせいにしたいわけじゃないけど、でも網戸開けっぱなしにしたのはお父さんだよね?」
一郎「俺⁉︎」
美紀「別にお父さんが悪いわけじゃないから。勝手に出ていったのはマロンだから」
一郎「俺?」

美紀「お母さんが網戸開けっ放しにするわけないでしょ。あたしもずっとお店にいたから、今日はリビングの窓すら触ってない」

一郎「俺じゃねえよぉ」

美紀「タバコ吸うとお母さんに怒られるから、換気するためにリビングの窓開けるよね?あたし何度も見たから。めんどくさかったから何も言わなかったけど」
一郎「もしかしたら今頃リビングのソファで寝てるかもしれないぞ」
美紀「そうだったらそんなに良いことはないんだけど。とりあえずもう一度家の周辺探してみよう」
母「私はとりあえず家に一回戻ってみる」
美紀「じゃああたしはもう一回この公園の近く探してみる」
浩一「俺は念のため神社の方まで足伸ばしてみるよ」
美紀「お父さん?」

一郎が背中を痛そうにさすっている。美紀が駆け寄る。

美紀「お父さん大丈夫⁉︎」
一郎「いや、なんでもない。ちょっと食い過ぎただけだ」
節子「お父さんはあたしと一緒に家に戻りましょう」
一郎「大丈夫だって、俺はちょっと公民館の方まで行ってみるよ。あそこ野良猫の集会場になってるから、もしかしたら混ざってるかもしれない」
美紀「じゃあ」

一郎以外、それぞれの方向に去っていこうとする。
一郎「ちょっと待った」
一郎がコンビニの袋から何かを取り出す。
一郎「ちゅーる。あいつ、これ好きだろ。あいつのいそうな場所でこれ開けたら、匂いに釣られて出てくるんじゃねえか?」
美紀「お父さん」

3人は一郎からちゅーるを受け取り、再び去っていく。節子だけ足を止め、一郎の方を見つめる。そして去っていく。
全員がいなくなったところで、一郎はベンチに座り、コンビニの袋から缶ビールを取り出す。

一郎「はぁ」

プルを開け、飲み始める。
梶が戻ってくる。

一郎「なんだ、お前か」
梶「それ酒?」
一郎「見りゃわかるだろ、俺がサイダーなんか飲むわけねえだろ。お前もいるか?もう一本あるぞ」
梶「いや、俺今日車だから」
一郎「そうか」
梶「大丈夫なの?体。医者に止められてるんじゃないの?」
一郎「なに、こんなの俺にとっちゃ水みたいなもんだ。若い頃はこれで歯みがいてうがいしてたんだからよ」
梶「お腹、痛かったんじゃないの?」
一郎「あれは、晩御飯に食ったゆで卵のせいだな。口に入れた瞬間酸っぱかったから」
梶「酸っぱかった?」
一郎「飲み込まねえで、吐き出しゃよかったよ。たく美紀のやつ、大雑把なんだよな、性格が」

 

梶「あのさ」
一郎「この前も小腹が空いて、冷蔵庫開けたら納豆があったから、開けてみたら真っ黒になってやがんの。それで賞味期限見たら8月2日になってて。今何月だよ、もう10月だぞ。2ヶ月も前の納豆放置しやがって。あ、お前彼女いんのか?まだ結婚もしてないんだろ」
梶がうなずくと、一郎はため息をつく。


梶「俺さ」
一郎「この前家に帰る途中によ、黒い虫が落ちてたから、ありゃゴキブリか?と思って、近づいて見たらアブラゼミだっけ?あの羽が茶色いセミ
梶「うん」
一郎「ひっくり返ってやがったから、もう死んでるのか?と思って、足でつっついてみたら、ミーン!っていきなり動き出しやがって。さすがの俺もっびっくりして尻餅ついちゃって。情けないったらありゃしねえ」

一郎は1人で笑っている。
しばらく笑った後、立ち上がって空になった缶をゴミ箱に捨てる。

一郎「そろそろ行かねえと。女どもがうるさいからな」

梶は頷く。一郎が公園を去っていく。
梶はスマホを取り出し、電話をかけながら階段を降り始める。

梶「もしもし、今どこ?あぁ、そっか、ごめんね、全部任せちゃって。俺も今からそっちに戻るから。泊まってくわけねぇだろ、俺枕変わると眠れないんだわ。うるせぇ、うるせぇよ」

梶は笑いながら階段を降りていく。

梶「お前もう足洗え、もう開店の準備しなくていいから。冗談でこんなこと言わねえよ。明日には東京出ろ。そうだな、沖縄あたりがいいんじゃねえか?」

下の道路まで降りた梶は、ガードレールに腰掛け、電子タバコを吸い始める。

梶「夕方、ちょっと着替えようと思って家に帰ったら、マンションの廊下に猫の死体があったんだよね。猫、猫。多分実家の猫。これは多分っていうかおそらく絶対、多分辺見さんの仕業だと思う。いや知んねえけど。あの人性格悪いから。だからあそこまでやってこれたんだろうけど。多分辺見さんなりの警告?次は猫じゃ済まねえぞっていう。とりあえず今から戻るから.そこで今後のこと話し合おう。なにお前、泣いてんの?泣いてんの?」

梶は笑っていたが、電話の相手から電話を切られる。
タバコを吸っていると、美紀がやってくる。

美紀「あんた今どこ住んでんの?」
梶「え?」
美紀「東京のどこ住んでんの?何区?」
梶「一応渋谷区」
美紀「マンション?」
梶「まぁ」
美紀「家賃高いでしょ」
梶「いや、そりゃマンションにもよるけど」
美紀「あんたんとこは?家賃、いくらなの?」
梶「いや、いいって」
美紀「なんでよ。え、タワーマンション?」
梶「いや、タワーかどうかはわかんないけど、一応10階」
美紀「じゃあ全然タワーマンションじゃん。え、あんたんとこ、ベランダに椅子とか置いてんの?」
梶「置いてない。ていうかほとんど家具とか置いてない。ほとんど寝に帰ってるだけだから」
美紀「もったいないねぇ」
梶「いやほんとに。なんのためにこんなとこ住んでんだろうって」
美紀「もったいないもったいない」
梶「もっと安いとこに引っ越そうかな?」
美紀「その方がいいよ。あたし、昔タワーマンションのベランダでワイン飲むのが夢だったんだ」
梶「結構ベタだね」
美紀「夢なんてそういうもんでしょ」
梶「だっせぇ」
美紀「だっせぇとか言わないでよ」

梶と美紀が笑い合っている。
梶は吸っていたタバコを仕舞い、ガードレールから腰を上げる。

梶「じゃあそろそろ帰るから」
美紀「え?」
梶「いや、猫、探せなくて申し訳ないけど」

美紀「あんた今、車何乗ってんの?」

 

暗転。

 

 

ステージ下部は屋上。BBQの時にも使っていたテーブルと椅子。机の上には寿司が乗っている。
錆びた階段が上へと繋がっている。

ステージ上部は高架水槽。


辺見は椅子に座っている。青木は机の横に立っている。梶は包丁を握りしめて辺見の方を見ている。机の上には寿司。

 

辺見「どうなの?最近。元気にしてる?」

青木が笑っている。

辺見「今日新しくできたスタジアムで花火やるらしいよ。俺の計算ではギリギリここから見えると思うんだよね。だからこうして男2人で寿司食ってます」
青木「商売女でも呼べばよかったじゃないっすか」
辺見「さすがにここには呼べない。上にバレたらタダじゃ済まない」
青木「気がちっちぇえな、辺見さんは」
辺見「そう、俺小動物だから。ハイエナみたいなお前とは違う。サバンナに隠しておいた木の実をこうしてこそこそ1人で食ってるってわけ」
青木「辺見さん友達いないから」
辺見「そう、俺友達いない。お前だけが唯一の友達だと思ってたんだけど、それも俺の独りよがりだったみたい」
青木「チッ、うるせぇな」
辺見「あ?」
青木「いや、カラス。俺嫌いなんですよね」

辺見は梶の方を見る。
梶は落ち着かない様子で顔をピクピクと動かし、時々歩き回る。
辺見は寿司を食べる。

辺見「やっぱここの寿司屋にして正解だったな。どこだっけ、赤坂にあるあそこ、アオバ。あっちも悪くないんだけど、なんかセンス押し付けてくる感じがあってあんまり好きじゃないんだよね」

辺見は梶の顔を見て、何か思い出したように笑い出す。

辺見「昔こいつ俺の家で住み込みしてた時期があって、犬の散歩行ってもらったり車洗ってもらったり、あと俺セックスレスだったから、愛人の世話もしてもらったりしてたのよ」
青木「マジっすか」
辺見「コイツ本当に頑張ってたから、一生懸命だったから。ある時俺とコイツと愛人の3人で日曜日に寿司屋に行ったんだよ。そしたらコイツ『カウンターで寿司食ったの生まれて初めてっす』ってわんわん泣き出しやがって、つられて愛人も泣き始めるし、俺もう恥ずかしくって、2度と行けなくなっちゃったよ、あの寿司屋」

辺見は笑うのをやめる。

辺見「ま、元々大してお気に入りじゃないから、どうでもいいんだけど。で、その尖ったもんで何しようってわけ?まさか刺身切り分けにきたわけじゃないよな?」

青木がくすくす笑っている。

梶「もう終わりにしましょう。キリがないっす。さすがに猫はやりすぎですって。もうとっくに死んだ猫探す家族見て、なんか俺」
辺見「ええー、待って、今時そんな安っぽいドラマみたいな感じ、老人でも泣かないよ?てめぇが今までやってきたこと、忘れたわけじゃないよな?お前のせいで自殺した老人が何人いる?両手じゃ足りないくらいの数だよ。そういうこと分かってて言ってんの?」
梶「分かってます」
辺見「騙される方がバカなんだよ。そんで俺もそのバカに同情するほど人間できてない」
梶「だから、俺がバカでした」
辺見「騙される方が悪い。そういう覚悟を持って、俺とやってきたんだよな?そういう認識でいいんだよな?」
浩一「だから、もう終わりにしましょう」
辺見「それで俺を刺して自分も死ぬってか?」
梶「そうですね、それもいいかもしれません」
辺見「勘弁してよ、俺もうちょっと人生楽しみたいんだよね。お前誰のおかげでここまで来れたか分かってて言ってんの?そういうとこ理解してる?」
梶は泣きそうな顔で辺見を見る。
辺見「そう、正解!お前がヤクザのバカ息子ボコボコぶん殴った後、尻拭いするのにいくらかかったと思う?2000万かかったよ。封筒に入れるんじゃ芸がないから、やっぱりお菓子の缶からかね?って。ヨックモックの缶からに札束入れてネクタイ締めて詫び行きましたよ。あの人たちそういうプレイが好きだから!」
青木「ハハッ」
辺見「色々悩んだんだよ?ゴディバじゃちょっと嫌味か、やっぱあの世代だとヨックモックかな?って」

梶が辺見の方に包丁を向ける。

辺見「無理すんなよ、手震えてるぞ」
青木「今更カタギになんか戻れるわけねえし、独立してもお先真っ暗だし、かといって辺見さんに泣きつくわけにもいかねえもんな」
辺見「俺は全然ウェルカムだよ!だって俺、お前のこと好きだから。お前がまた俺のところに戻ってきて一生懸命働いてくれるならそれでいい」

青木が梶の後ろでポーチから拳銃を出し、梶の頭につきつける。

辺見「いいって」
青木「いや、念のため」
辺見「ていうかそれ、どこで買ってきたの?」
青木「改造銃です。自分で作りました。なんとなくで作ったんで、もしかしたら暴発して、てめぇの手が吹っ飛ぶかもしれませんが、そうなったら笑ってやってください」
辺見「いや、笑えない」

青木が屋上の隅にあったブルーシートをめくると、ボロボロの真鍋が倒れている。

辺見「大丈夫、まだギリギリ死んでない」
青木「コイツ、男の中の男だよ。俺たちのところに自分で切り落とした小指持ってきて。これで勘弁してくださいって。これ、真鍋くんの小指」

青木がポーチからジッパー付きのポリ袋を取り出す。

辺見「いや昨日六本木の焼肉屋で青木と2人で飲んでたらさ、いきなりコイツから電話かかってきて、直接話をさせてくださいって。それで店教えたら真っ青な顔でやってきて、カバンからいきなりそれ出して渡してくるもんだから」
真鍋「すいません…、梶さん」
辺見「俺に謝れよ!食ったもん全部トイレで吐いちゃったじゃねえか!それでお会計8万だぞ!」
青木「コイツお前によっぽど惚れてんだな、そりゃ辺見さんも嫉妬するわけだよ」
辺見「そういう問題じゃない」
青木「本当は知り合いの建設業者に頼んでまだ建ってないマンションがあったら昨日のうちにコンクリで固めて基礎になってもらおうと思ったんだけど」
辺見「浩一は必ず来るからって。だからそれまでコイツ埋めるの待ってくれって」
青木「辺見さんはコイツを使ってお前の復活に賭けたんだよ」
辺見「そういう希望があったのかもしれない」
真鍋「すいません、ほんと、すいません」
梶「なんでだよ、足洗えっていっただろ」
真鍋「すいません。自分、不器用なもんで」

真鍋と辺見が爆笑する。

辺見「嘘でしょ⁉︎もっかい言って!」
真鍋「自分、不器用なもんで」

笑い続ける辺見の腹を、梶が包丁で刺す。

辺見「いって」

辺見が地面に倒れる。

辺見は梶から逃げるように這うようにして階段の方に上がっていき、体を横たわらせる。梶は真鍋を庇うように真鍋の前に立つ。
真鍋「梶さん」
辺見「お前一回落ち着けって、話せば分かるから。うわぁ、めっちゃ血出てるんだけど。俺死んじゃうのかな、俺死んじゃうのかな!」

梶が辺見の方に向かっていく。

真鍋「梶さん!」

梶は階段を上がらず、ふらふらと階段の横で笑う。

梶「あーあ、疲れちゃった。なんかごめんな」
真鍋「いえ、自分で選んだことですから」
辺見「青木、救急車」
青木「え?」
辺見「いや、結構血出てるから」
真鍋「一瞬でしたけど、結構良い思いさせてもらいましたし。俺日本人大嫌いだったんで、結構痛快でした」
辺見「ていうか、なんでそれ使わないの?」
辺見は青木に向かって話しかける。
青木「あ、もう刺されちゃったから。本当は刺される前に使いたかったんですけど」
辺見「俺もそうしてほしかった」
真鍋「梶さん…。いや、なんでもないです、ただの寝言です」
梶「ニラが腐ったみたいな匂いがするんだよ。いや、実家。台所」
真鍋「あぁ」

梶と真鍋は笑っている。
梶「排水口が詰まってんのかな?と思って思い切って嗅いでみたんだけど、なんかそこじゃないんだよな。いや、匂いの原因。学校から帰ってきて玄関開けたらその匂いがして、俺ほんと吐きそうになっちゃって。みんなよくここに住んでんなぁと思って、逆に感心しちゃったもん。ほら、俺小さい頃、蓄膿の気があったから、お医者さんにも相談してみたんだけど、問題ないって言われちゃうし、思い切って姉貴に告白したらブチ切れられちゃうし、俺もうノイローゼ気味になっちゃって、早くここから出たいって布団の中でずっと思ってた。でも最近分かったんだ。いや、匂いの原因。人間の匂い。俺を含めたただの人間の匂いだったのかもしれない。若い頃には気づけなかった」

ヘリが飛んでいる。

青木「あれ?誰かいる」

上に望月が立っている。望月は梶を見かけてイヤホンを外す。

梶「なんでお前がここにいるんだよ」
望月「あれ?梶さん」
青木「あ、知り合い?」
梶「いや、前ここで働いてた」
青木「良かったぁ、俺見えちゃいけないものが見えてるのかと思って」
梶「なんでここにいるんだ。もうとっくに解散しただろ」 
望月「すいません。久しぶりに洋服でも買おうかと思って、近くに寄ったんですけど、そしたらなんか懐かしくなっちゃって、部屋覗いてみたら、当たり前ですけど、もう誰もいなくて。それで屋上に来て、ずっと音楽聴いてました。だから私、何も見てませんし、何も知りません」
梶「ずっとそこにいたのか?」
望月「他に行く場所もないですから」
梶「お前、名前なんて言うんだっけ。だから、お前の名前」
望月「道子です。望月道子」
梶「そういう名前だったのか。お前、そういう名前だったんだな!」
望月「はい」
梶「早く降りてこい、そこは危険だから」

花火の音が聞こえる。
声が届いていない。

望月「え、何の音?」
青木「戦争だよ、戦争が始まったんだよ」
望月「え、何?あれ?花火!」
青木「辺見さん!辺見さんの言った通りですよ。花火が見えますよ!」

青木がドタドタと階段を駆け上がる。辺見が呻きながら傷口を庇う。
辺見は手すりをつかんで、なんとか階段を上がっていく。

青木「どこに見える?」
望月「あそこです!」

花火が上がる。
梶は真鍋を見つめている。

望月「ほら見えた!」
青木「辺見さん!早くきてください!梶、お前なにそんなとこで突っ立ってんだよ、早くこっちにこいよ、ワクワクするぞ」
梶「望月さん。もうここはお前のいる場所じゃないんだよ、頼むから早く消えてくれ、早く消えてくれ」

辺見は階段を上がり終えて倒れる。
屋上への入り口が開き、中年男が赤いポリタンクを持って入ってくる。
梶は中年男を不審そうに見る。

中年男「富士山ぜんっぜん爆発しないじゃない!もう10月だぞ!どうなってんだよYouTuber!いい加減なこと言ってんじゃねえよバカヤロウ!」
梶「え、すいません」
中年男「あ、すいません、大声出して。私普段は温厚な人間なんですけど、さすがに堪忍袋の緒が切れちゃいまして。あ、私下のクリニックに通ってるものです。去年からちょっとしんどくて、そろそろ会社休もうかなと思ったんですけど、上司に相談したら診断書持ってこいって言われまして。それで色々調べて先月、下のクリニックに1時間かけて遠征してきたんですよ。評判良かったから。そしたらそこの先生に、『宮下さん、安心してください。病気じゃないですよ』って言われて。いや、私も自分が病気だという自覚はあったもんですから、『先生、私は病気です。診断書ください』って言ったんですけど、先生は頑なに優しい笑顔で『病気じゃない。病気じゃない』って診断書書こうとしなくて。それで私『いいからさっさと診断書よこせバカヤロウ!』って。あ、バカヤロウとは言ってないですよ。それに近いことは言いましたけど。それでその時は大人しく家に帰ったんですけど。でも富士山全然爆発しないから。YouTuberの人たちが口を揃えて言うもんだから、楽しみにしてたんですけど、でも富士山全然爆発しないから。それで今日改めて下のクリニックに行ってきたんですけど、先生は変わらず『宮下さんは病気じゃないです。安心して会社に行ってください』って言うもんだから、腹が立ってきて、火をつけてやりましたよ」
梶「え?」
中年男「だから4階のクリニックに」
梶「今?」
中年男「はい、今結構燃えてます。それで命からがら上に逃げてきたんですけど、いやぁ、よく考えたらなんで下に逃げなかったんでしょう。上に来たって逃げ場ないのに。完全なる自爆ですよね。まぁそれはそれで良かったのかな。あ、今何時かわかります?もう発表されたかな?巨人対ヤクルトのスタメン」

青木が中年男を撃ち殺す。
青木は望月に銃を向ける。

青木「降りろ」
望月「やめてください!」
青木「いいから降りろって!」

望月が階段から降りている途中で、青木は鍵を下に落とす。

青木「それ、非常階段の鍵。もう錆びてボロボロだと思うけど、運が良ければシャバに帰れる」
望月はなかなか動かない。
青木「行くも地獄、帰るも地獄」
望月は階段を降り始め、途中で梶さんの方を見る。
望月「梶さんは?」
青木「コイツもう戻る場所ないから」

梶は望月から目を逸らす。望月は下まで降りる。
青木は1万円札を下に落とす。

青木「それで腹一杯食え」

望月は鍵と一万円札を拾って屋上を後にする。

辺見「青木、救急車…」

青木は辺見を撃ち殺し、階段を降りてくる。
梶の方を見ながら真鍋に銃を向ける。

梶「青木さん、そいつはもう」

青木は真鍋の胸を撃ち抜く。
カラスが鳴いている。花火が上がる。

青木「チッ、うるせえな」

青木は空に向かって拳銃を何発も撃つ。
カラスの声がどんどん静かに鳴っていく。
青木は梶に向かって銃を向ける。

青木「知ってる?昔カラスは3本足だったんだ。犬も3本足だったんだよ」

梶はニコニコしながら青木の話を聞いている。

青木「でもカラスは飛べるから良いけど、犬は3本じゃ歩きづらいよ?それである時、犬は偉い人にお願いしたんだ。偉い人って神様じゃなくて。それでその偉い人はどうしたと思う?」

梶は半笑いで答える。

梶「いや、ちょっと分かんないっす」
青木「カラスの足を1本奪って、犬にあげたんだよ。偉い人って全然偉くないよね!」

梶が笑う。

青木「犬っておしっこする時、後ろ足あげるでしょ?あれってカラスから貰った足を汚さないようにってことらしいよ。遠慮することねぇのにな。あんな小狡いヤロウのために」

カラスの死骸が2人の間に落ちてくる。

青木「ざまぁみろ」

梶が声を上げて笑う。暗転。

 

 

いつもの実家。下手側がキッチンとダイニング。上手側がリビング。一郎はリビングでテレビを見ている。節子はダイニングでブドウを食べている。2人の前にはカレーライスが置かれている。

 

一郎「美紀、おい美紀。ハヤトは、ハヤト何時ごろに帰ってくんだ?」

美紀がエプロンで手を拭きながらリビングに入ってくる。

美紀「何?誰か呼んだ?」

誰も答えない。美紀は節子の方を向く。

美紀「何?」
節子「知らない」
美紀「ていうかお母さん、なんでブドウ食べてるの?カレー食べてよ」
節子「あとで食べる」
美紀「あとで食べないじゃん」
節子「今お腹空いてないの」
美紀「ブドウ食べてるからでしょ。あれ?お父さんも手つけてないじゃん」
一郎「俺はチビチビやってんだよ」
美紀「早く食べないと冷めちゃうから。冷めちゃったら美味しくないから」
一郎「ていうかなんで今日もカレーなんだよ。これで3日連続だぞ」
節子「洗濯機、ピーピーって聞こえた。もう終わったんじゃない?」

美紀はため息をついてリビングを出ていく。

一郎「コイツなんでこんな漢字も書けないんだ」

一郎はテレビに向かって怒っている。

一郎「あぁっ、またコイツだ。バカ!何をヘラヘラしてんだ。恥ずかしくないのか!今頃親御さん顔真っ赤にしてテレビ見てるよ!なんでこんなヤツが人気なのかね、俺にはさっぱり分からないよ」

一郎は立ち上がって後ろのタンスを開け始める。

一郎「美紀、美紀!爪切りどこやったかな。引き出しに入ってねえぞ」

美紀が戻ってくると同時に、一郎が出ていく。
美紀が節子に向かって聞く。

美紀「何?」
節子「知らない」
美紀「ていうかお母さん、そろそろ機嫌直して?もう1週間も口聞いてないじゃん。子供じゃないんだから」

美紀はダイニングの椅子にに座る。

節子「あたしもちょっとは譲歩してるのよ。あの人のつまらない冗談に少しは笑ってあげたり」
美紀「それは立派だと思う。立派だと思うけど」
節子「あたしばっかり責めないでよ!大体のことはあの人に原因があるんだから、あの人をもっと糾弾すべきじゃない?あの人をもっと更生すべきじゃない⁉︎」
美紀「それができたらやってるけど、でもできないから」
節子「分かってるわよ!分かってるわよ、そんなこと」

一郎が戻ってくる。節子が黙る。

美紀「お父さん、おトイレ?」
一郎「うん」
美紀「ちゃんと座ってしてくれた?」

一郎は爪楊枝を咥えたまま頷く。

美紀「ウソ」
一郎「ウソついたってしょうがねえだろ、こんなこと」
美紀「この前便座上げっぱなしになってたから」
一郎「なんで俺なんだよ。お前の息子じゃねえの?」
美紀「ハヤトがそんなことするはずないから、もしやってたらはっ倒すから」
一郎「はっ倒すことねぇだろ」
美紀「ねぇお父さん、一回トイレの掃除自分でしてみたら?立ってした時どれだけおしっこが周りに飛び散ってるか分かるから」
一郎「なんで俺がそんなこと」


節子「悪いと思ったら謝ってよ!悪いと思ったら謝ってよ。あんたがグチグチ言い訳するから美紀だって嫌味の一つも言いたくなるのよ。あんたが素直に謝ってたら美紀だってあんたに掃除なんてさせないわよ」

 

美紀「あたしそろそろお店行くから。まだ片付け残ってるし。カレー、半分でもいいから頑張って食べてね。お父さんも」

美紀がリビングを出ようとする。

一郎「悪かったよ」
美紀「え?」
一郎「だから、怒鳴って悪かった」
美紀「なんのこと?」
一郎「だから、この前お母さんが俺に『まだ起きてるの?』って聞いてきたのが、『まだ生きてるの?』って聞こえて、『俺がまだ生きてちゃ悪いか!』ってお母さんにリモコン投げつけたんだよ」
節子「バッカみたい。あたしがそんなこと言うはずないじゃない」
一郎「だから、悪かったよ」

美紀「なーんだ」
一郎「え?」
美紀「いや、全然別のことかと思って。まぁいい。ぶり返すとめんどくさいから。とにかく、2人とも頑張ってカレー食べてね?」

美紀がエプロンを外しながら出ていく。
節子がカレーを食べ始める。それを見た一郎もカレーを食べ始める。
玄関の開く音。

美紀「あれ?おかえり。なんでこんな時間に?まぁいいわ。カレー余ってるから、あんたいっぱい食べちゃって」

 

暗転。

 

考察

相変わらず好き勝手考察してます。特に今回はキャラクターの若干センシティブな内容についても触れているので、目次を見て解釈が合わなさそうなら読まないことをおすすめします。

目次

・名前について

・俺たちは生まれた時から罰を受けている

・梶さんの性的指向について

・中年男とのリンク

・格差の比喩

・若林という存在

・実家

・三角関係

・辺見と梶

・真鍋と梶

・希望の象徴としての望月

・最終場の解釈

・プレイリスト

・地名について

・その他

 

 

・名前について

1回目に観劇した時は全然気づかず、2回目の開演前にパンフレットを読み込んでいてようやく気がついたのですが、梶の実家って「小川家」なんですよね。結婚していないということにも言及があるので、おそらく「梶」は仕事で使っている仮名だということになります。一方で家族からは「浩一」と呼ばれているので、下の名前の方は本名であると予想できます。犯罪に関わる仕事上、本名の名乗るのは都合が悪かったのかもしれません。

そして辺見に「浩一」と呼ばれて「下の名前で呼ぶのやめてもらっていいですか?」と苛立った様子の梶。本名を呼ばれたくないパターンと、下の名前が好きじゃなくて呼ばれたくないパターン(私はそうです)があると思ったのですが、梶さんはどちらかというと前者かなと。

辺見は屋上のシーンなんか嫌がらせのように「浩一」と何度も呼びますが、なんとなく呼び慣れているんじゃないかと思ったので、辺見と出会う(呼ばれ方は浩一)→仕事の都合上「梶」と名乗り始めるという時系列だったのかなと思います。

個人的に「浩一」という名前、あのお父さんが付けそうな名前だなと思いました。父親の名前が「一郎」で、おそらく長男。あの年代の人なので、兄弟は少なくない数いたと思います。そういった環境で頑固で負けず嫌いな性格が熟成されたのかなと。そして生まれてきた長男の名前に自分の名前にもある「一」という漢字を使うのが、めちゃくちゃぽいなって。

 

・「俺たちは生まれた時から罰を受けている」

これは1場での梶さんのセリフですが、梶さんが詐欺をする前の人生について語るのってここと辺見を刺した後だけなんですよね。そのわりに自分の心情についての描写は妙にぼやけていて、結局梶さんがどうして世の中に復讐したいと思ったのかは具体的には明かされない。

ちなみにこのセリフは梶によると「服役を体験した元政治家の獄中体験記」から引用された身体障害者の囚人仲間のものらしいですが、この辺が梶さんの曖昧っぷりに比べて偉くリアリティがあるなと思ったんですよ。そこで元ネタがありそうだなと思って検索かけて出てきたのがこちら。

news.yahoo.co.jp

以下、記事から引用。

動機について申し上げます。一連の事件を起こす以前から、自分の人生は汚くて醜くて無惨であると感じていました。それは挽回の可能性が全くないとも認識していました。そして自殺という手段をもって社会から退場したいと思っていました。痛みに苦しむ回復の見込みのない病人を苦痛から解放させるために死なせることを安楽死と言います。自分に当てはめますと、人生の駄目さに苦しみ挽回する見込みのない負け組の底辺が、苦痛から解放されたくて自殺しようとしていたというのが、適切な説明かと思います。自分はこれを「社会的安楽死」と命名していました。

ですから、黙って自分一人で勝手に自殺しておくべきだったのです。その決行を考えている時期に供述調書にある自分が「手に入れたくて手に入れられなかったもの」を全て持っている「黒子のバスケ」の作者の藤巻忠俊氏のことを知り、人生があまりに違い過ぎると愕然とし、この巨大な相手にせめてもの一太刀を浴びせてやりたいと思ってしまったのです。自分はこの事件の犯罪類型を「人生格差犯罪」と命名していました。

自分が「手に入れたくて手に入れられなかったもの」について列挙しておきますと、上智大学の学歴、バスケマンガでの成功、ボーイズラブ系二次創作での人気の3つになります。あと、取り調べでは申し上げませんでしたが、新宿出身というのもあります。公判のために必要な事実関係は全て供述調書になっていますので、ここでその詳細については申し上げません。上智大学への自分の執着につきましては、自分が上智大学出身者だけにのみ強烈なコンプレックスを抱くようになったきっかけは、19年前にささやかな屈辱を味わったことに端を発します。バスケマンガと二次創作につきましては、色々な出来事が複雑にリンクしています。31年前に同性愛に目覚め、同じ年に母親から「お前は汚い顔だ」と言われ、26前に「聖闘士星矢」のテレビアニメを見たいとお願いして父親に殴り飛ばされ、24年前にバスケのユニフォームに対して異常なフェチシズムを抱くようになり、22年前にボーイズラブ系の二次創作同人誌を知ったという積年の経緯があります。また、新宿につきましては、16年前に自殺をしようとしてJR新宿駅周辺を彷徨し、11年前にJR新大久保駅周辺を歩き回ったことがきっかけです。いずれも昨日今日に端を発することではないのです。自分にとってはとてつもなく切実であったということだけは申し上げさせて下さい。

(中略)

以前、刑務所での服役を体験した元政治家の獄中体験記を読みました。その中に身体障害者の受刑者仲間から「俺たち障害者はね、生まれたときから罰を受けているようなもんなんだよ」と言われたという記述があります。自分には身体障害者の苦悩は想像もつきません。しかし「生まれたときから罰を受けている」という感覚はとてもよく分かるのです。自分としてはその罰として誰かを愛することも、努力することも、好きなものを好きになることも、自由に生きることも、自立して生きることも許されなかったという感覚なのです。自分は犯行の最中に何度も「燃え尽きるまでやろう」と自分に向かって言って、自分を鼓舞していました。その罰によって30代半ばという年齢になるまで何事にも燃え尽きることさえ許されなかったという意識でした。人生で初めて燃えるほどに頑張れたのが一連の事件だったのです。自分は人生の行き詰まりがいよいよ明確化した年齢になって、自分に対して理不尽な罰を科した「何か」に復讐を遂げて、その後に自分の人生を終わらせたいと無意識に考えていたのです。

 

こちらは梶さんのセリフとは違って、かなり詳細に犯罪に手を染めた動機が語られています。梶さんにとって頑張れてしまったのが詐欺で、それを通して「何か」に復讐をしたかったのかなと思いました。でも心の底から詐欺で成功したいと思っているわけじゃなくて、どこかで自分の人生すらもめちゃくちゃになっていいと思っていたから、若林をボコボコにしたり、辺見さんにナイフを向けたりできたのかなと。

梶って野心的に見えるし、辺見の「青臭い」というセリフも、それを指していると思うのですが、本気で何がなんでものし上がってやろうと思っているようには見えないんですよね。梶のセリフに「あの人性格悪いから。だからあそこまでやってこれたんだろうけど」というのがありますが、梶も辺見のやり方が賢いことはある程度認めていたのかなと。それでも若林への怒りを我慢できず、独立を夢見てしまっていたのは、むしろどこか投げやりな気持ちがあったんじゃないかなと思いました。

 

・梶さんの性的指向について

じゃあなぜそこまで梶さんが追い詰められたのかを先ほどの記事を元に考えると、学歴コンプレックスや母親からの罵りは示唆されていませんでした。残るのが同性愛という側面です。

演出の赤堀さんはアフタートークショーで「梶と辺見と真鍋の三角関係」と語っていたり、パンフレットでも「三者の関係、そこにある俗っぽい感情のもつれ。そこで吐露される胸の内には恋情まがいの言葉もあるが、真意については観る方に委ねたい」と語っています。

また、詐欺グループの部下の名前について、まず一番最初に梶さんに殴られていた男のことは、うろ覚えながら「おい原田。原田だっけ?」と一応名前を覚えていることが分かります。また、若林については「お前名前は?」と最初に聞いた後、BBQのシーンでは躊躇なく「おい若林」と名前を呼んでいます。なのに望月の名前だけは解散後、最後の最後まで知らなかったんですよね。もしあそこで再会しなければ、一生知ることはなかったでしょう。

客観的に見て、望月道子ってかなり目立つキャラクターなんですよね。スカートに血が飛んでしまったくだりで、初めて梶さんとマトモに会話するのも望月ですし、そもそも詐欺グループの紅一点なので、それだけでも目立ちます。さらに望月は、梶の詐欺グループの中でも詐欺に対してかなり熱心で、一番初めに詐欺を成功させ、多額の利益を上げています。

だからこそ、屋上のシーンで望月に名前を聞く梶の異様さが際立つんですよね。屋上の場面は、詐欺グループ側のシーンとしてはラスト、梶さんの出番としてもラストなので、その中で突然組み込まれる望月に名前を聞く梶のシーンはかなり目立ちます。本来名前を覚えていない方が不自然である状況の中で彼女の名前だけを覚えていない梶の望月への無関心さは、強調したかった部分なのかなと思いました。

あとは猫探しの場面、父親と2人で話すシーンですね。自分のせいで猫が殺されたことを分かっていながら、まだ生きていると思って猫を必死に探す家族に協力する梶さんですが、公園のベンチで隠れて発泡酒を飲み始める父親と、おそらくかなり久しぶりに、2人で会話します。

このシーンの長年会ってなかった父と息子の空気感が絶妙なのですが、気になったのが梶さんの言いかけたことです。まず冷蔵庫にあった茹で卵が腐っていた話を終えた父親に対する一度目の「あのさ」は、猫がいなくなったのが自分のせいであることを打ち明けたいのかなと思いました。しかし父に話し出すのを邪魔され、次が2度目です。

父親から「お前彼女いんのか?まだ結婚もしてないんだろ?」と聞かれた後、「俺は」と何かを打ち明けようとします。もちろんこちらも猫のことについて打ち明けようとしている風にも捉えられるのですが、「俺は」という言い方と前後の流れ的に、自分のことについて話そうとしていると推測する方が自然かなと思いました。

結局父親に邪魔されて打ち明けられないまま終わっていくわけですが、父親側からも何か察するところはあったのかもなと思います。昭和と亭主関白を絵に描いたような父親ですから、彼女を作ることも結婚することもできて当たり前だと思ってそうですし、梶が犯罪に手を染めていることも、結婚しない理由も、できれば耳に入れたくない話なんだろうなと。もし父親が都合の悪い話から逃げようとせずに梶と向き合っていたら、何かが変わったのかなとか考えながら。

彼女と言えば、1場で梶さんが「俺こう見えて結構マトモに育ったんだよ。普通の家庭に生まれて、普通の両親に普通に育てられて、普通に学校に行って、普通に彼女もできし、普通に大学出て、普通に就職して」と語っていますが、「普通に」という言葉をつけていることによって、こうあるべき、こうしなきゃの中に「女性と付き合う」という項目が含まれていたのかなと思いました。この辺りの追い詰められ方は、あの「普通の」家族で生まれ育ったからこその強迫観念なのかもしれません。

 

・中年男とのリンク

引き続き先ほどの記事からの話ですが、苦痛から解放されたくて自殺しようと思っていたが、やっぱりせっかくなら復讐することにした、が当てはまるのって、どちらかというと赤堀さん演じる中年男の方な気がします。

ただ、この中年男と梶さんの話すことって共通する部分があるんですよね。ツラいと思っていることを認められないことのツラさが2人共にあるように思えます。屋上でのシーンの2人の打ち明け話は詳細こそ違えど、大筋はそっくりだと思いました。

梶さんは原因不明の実家の悪臭を医者から「問題ない」と言われ、姉からは怒られ、ノイローゼ気味になっていきます。それに対し、中年男の場合は休みたいと言ったら上司に診断書を取ってくるように言われ、医者からは「病気じゃない」と言われ、富士山が噴火しなかったから病院を放火します。

2人ともツラいことが認められないツラさから、かたや放火、かたや詐欺で世の中に復讐しようとするが、壊れてしまえと念じている対象の中に、世間だけでなく自分自身も入ってしまっている気がして、結果として自分が死んでしまうのもそれはそれで良かったのかもしれないと思っているように見えました。中年男のこの話を聞いている時の梶が浮かべる同情にも似た表情と、その後4階に火をつけてきたと言われて呆気に取られる顔が好きでした。

中年男が執着する富士山の噴火も、本当にそうなったら中年男が無傷でいられるとは思えないんですよね。1時間かけて病院まで通っていると言っていましたが、都内が巻き込まれるような規模の富士山の噴火なら、1時間移動した場所でも被害は出るでしょうし。

この中年男の演出的な役割としては、梶さんを復讐に駆り立てた動機の少し分かりづらい部分を言い直して分かりやすく提示しているのかなと思いました。その辺りを梶さん自身が言いすぎると、セリフが説明的になりそうですし。

 

・格差の比喩

この舞台で最初から最後まで一貫したテーマとして取り上げられているのが、社会格差だと思います。その散りばめられ方が面白いと思ったので、私が気付いた限りでまとめてみました。

上下に分かれたステージ

今回の舞台は基本的に常に上と下で分かれています。そこを登場人物が行き来したり、行き来できなかったり。特にBBQのシーンなんかは、上では辺見や若林がシャンパンを飲みながら、下では研修生たちが地べたに座ってカップ麺をすすっているのが顕著だと思いました。

登れない脚立

詐欺グループのオフィスにはいくつかの脚立が無意味に置かれています。しかし、誰も上に登ろうとしないし、登ったとしても上には何もつながっていない。

逆転しないボウリング

辺見と青木がその日10ゲーム目のボウリングを行っているシーン。辺見は一度も勝てていませんし、「パンチアウトすれば逆転もありうる」と言われながら、最終的にはパンチアウトをしても追いつけないほどの点差になって終わります。

白いスニーカー

若林の衣装をチェックしていて気になったのが真っ白の汚れのないスニーカー。さらに辺見もBBQでは真っ白のローファーを履いていました。一方で研修生の男も白いスニーカーを履いていたのですが、そちらは全体的に薄汚れていました。

家族との合流

梶さんの登場する実家のシーンは2度あり、1度目は2階の自分の部屋と思わしき場所から階段で降りてきます。2度目は猫探しのシーンで、下にある道路を走ってきて、上にある公園に向かって階段を登っていきます。最初に実家に帰ったタイミングでは、独立を企んでたことこそバレたものの、お咎めらしきお咎めもない一方、実家では話に入れず浮いていることから、実家に帰ることが下がることだったのかなと。しかし独立すると言い張った後は、辺見さんに猫を殺され不信感を募らせる一方、家族とは普通に会話し、自然な笑顔も見せていて、実家に帰ることが上がることだったのかなと思いました。

花火

屋上で真鍋が息絶えた後、花火が上がります。上にいた望月はそれに気づき、青木も上に上がって見にいきます。瀕死の辺見でさえもなんとか体を引き摺りながら上に上がって、そこで倒れました。梶だけは青木に呼ばれても上に行こうとしません。真鍋が死んだ時点で、梶の上に行こうとする野心はもう完全に死んでしまっていたのかもしれないなと思いました。

犬とカラスと偉い人</ph5

昔カラスは3本足だったんだ。犬も3本足だったんだよ。

でもカラスは飛べるから良いけど、犬は3本じゃ歩きづらいよ?それである時、犬は偉い人にお願いしたんだ。偉い人って神様じゃなくて。それでその偉い人はどうしたと思う?

カラスの足を1本奪って、犬にあげたんだよ。偉い人って全然偉くないよね!

犬っておしっこする時、後ろ足あげるでしょ?あれってカラスから貰った足を汚さないようにってことらしいよ。遠慮することねぇのにな。あんな小狡いヤロウのために。

 

というのが青木の最後のセリフですが、カラスは辺見、犬は梶や自分達のことを指しているようにも聞こえますし、カラスが老人、犬が若者と考えても良さそうです。持っている人間(カラス)が与えてくれたもの、持っている人間から奪ったものに感謝する必要なんてないということなのかなと思ったのですが、面白いのが登場人物がもう1人いることですね。それが「偉い人」です。この「偉い人」って辺見の言う「上」や「あの人たち」と同一のものなのかなと思いました。

 

これは最近分かったことなんだけど、俺たちにはどうしても越えられない壁がある。あの人たち僻みっぽいから、一見さん絶対お断り。京都の老舗の料亭より融通が効かない。

 

我々のような下々には関係のない話。上の方でメンツが立つとか立たないとか色々あるみたい。

 

青木も辺見も、犬とカラスは同じ地平にいるが、それよりも上の越えられないところに「偉い人」がいるような口ぶり。それがいわゆる「エリート」で、「俺たちとは住む世界が違う」人たち(若林)のことなのかなと思いました。全然偉くない偉い人が、犬の不満をなだめるためにカラスから奪って与える。

おそらく梶はまだそれに気づけていないんじゃないでしょうか。だから青臭い。全力で頑張ればなんとかなるとどこかで信じていて、若林のことも殴るし、熱くなって独立を宣言したりしちゃう。辺見にもそういう時期はあったんだと思います。でもそれが無理だと悟り、諦めたからこそ、辺見にとっては梶の行動が無謀で無意味な青臭いものに映る。

辺見はゼロから始めると言い放つ梶に「俺はお前のためを思って」と引き止めますが、本当に梶のことを思っての行動だったんだろうなと思います。結局梶はその後辺見の元から真鍋と共に去っていきますが、その後のヘリコプターに対する「うるせぇな、さっきからぐるぐるぐるぐる。無意味なことはやめてくれよ」は梶への嘆きにも思えました。

その悲痛な叫びと「やめろよ」ではなく「やめてくれよ」という懇願口調に、めちゃくちゃ切なくなりました。

 

・若林という存在

2020年に公演中止に至り、2022年、ようやく幕を切ることのできたパラダイスですが、元々村上虹郎さんだったところに入ってきているのが永田崇人さんです。この永田さん演じる若林というキャラクターは、出番自体はそれほど多いわけではないのですが、存在感がかなり強いなと思いました。

まず先ほど言った通り、若林だけは「越えられない壁」の向こう側の人間で、「偉い人」の息子で、「エリート」で、「俺たちとは住む世界が違う」人間です。なのでちょこちょこ考え方が浮いているんですよね。

まず1場で梶が復讐について語るシーン、若林だけは「わかんないっす」と言い放ちますが、それ以外のメンバーは梶に対して共感しているようなセリフや素振りを見せます。また、辺見と出会えたことに対して「マジで神様いるなって」と言っていますが、辺見は「神様なんていないよ」と否定します。おそらく若林は、望みを口にしておけば誰かが与えてくれた人生だったんだと思います。若林はその誰かを「神様」だと思っていますが、実際は辺見のような人間たちが「神様」として色々やってくれていたんだと思います。

BBQのシーンと同時並行で進む詐欺グループも、最初は望月以外はあまりやる気がない様子でしたが、若林への「俺たちは住む世界が違う」というセリフをきっかけに動き出すんですよね。若林への反感が、梶や研修生たちの心情変化を作り出しているように見えました。

あと若林って良くも悪くも堂々としていて生意気。ボコボコ人殴ってる梶に対し他の研修生たちが恐怖を抱いている中、若林だけは梶に普通に意見を言ったり、話しかけたりします。ビビっている様子もなくはないですが、他の研修生たちとはビビり方が違う。一回り以上年上であるはずの青木や辺見に対しても、学校の先輩くらいの感じで接する。真鍋が肉を焼いてくれている間に自分が座って酒を飲んでいることにも全く悪びれない。というか多分気にしてすらいない。

急に自分語りになりますが、私は良い家に生まれて、良い学校に行って、良い大学に入って、良い会社に就職しました。めちゃくちゃ裕福というわけではないですが、貧しいとはかけ離れていました。私は自分のことを運の良い人間だと思っていたし、堂々としていて物怖じしないのが個性だと思っていました。でも若林というキャラクターにそれを見せつけられたことで、運が良いと思っていたのは、チャンスが来た時に躊躇なく機会(中学受験や習い事など)を買ってもらえるだけのお金があったからで、堂々としているのは、困った時には誰かが助けてくれるという安心感があったからだと感じました。

その辺りの無自覚さが生々しく描かれていて、「俺もいつか店長やってみたいな」と軽々しく口にするところに、梶はキレたんだろうなと思いました。

 

・実家

ここまで考察してきた詐欺グループ側の話と並行して進むのが、梶さんの実家です。

パンフレットには「うんざりするほど卑近なホームドラマ」と紹介されていましたが、まさにそれだと首をブンブン縦に振りました。

初見の感想は「あの家族の気持ち悪さすごすぎる(褒めてる)」でした。正直詐欺グループ側よりも感情が持っていかれた。でも見れば見るほど気持ち悪さは慣れで薄れていって、その辺りも余計に気持ち悪くて良かったです。多分実際家族ってあんな感じなんですよね。父親が男尊女卑・亭主関白を地で行く人間でも、毎日一緒に過ごしていたら毎日怒るわけにはいかない。こっちが疲れるから。だから適度に無視して、適度にあしらって、なんとなくこういうもんかと受け入れる。気がつくと何が気持ち悪かったのかも分からなくなってくる。

家の匂いってその象徴なのかなと思います。他人の家だと濃密に「家の匂い」を感じるのに、自分の家の匂いはそれが悪臭だったとしても、慣れてしまって全然分からない。梶さんはそんな自分の家の匂いを、普通なら慣れてしまうようなぬるい苦痛を、当たり前だと思うことができず、敏感に感じ取ってしまっていたのかなと思いました。

あとは久しぶりに帰ってきた梶さんが、自分の知っていること(コンビニのところにクリーニング屋さんがあったこと、父親が吸っていたタバコの銘柄)と辺見さんから聞いたこと(甥の年齢や部活)の2択しか話せない感じもリアルだなと思いました。梶さんの衣装は基本的に黒基調なのに対し、小川家の衣装は白っぽくまとめられていることで、家のセットでは1人だけ浮いていて、夜の公園のセットでは1人だけ溶け込んでいることに、実家と梶さんの距離を視覚的に感じました。

 

東京で犯罪組織に馴染む梶と、船橋の実家は対照的な存在ですが、全く別世界にある理解できないものとしては描かないところもこの舞台の面白さ。詐欺グループ側の会話と実家側の会話が、丁寧にリンクさせられていることに感心しました。

①自分に非があるときは言い訳せずに謝れと怒る梶・真鍋

ー責任逃れする宅配業者に怒る姉

ー悪いと思ったら謝ってよと怒鳴る母親

②「男とか女とか関係ないから、今そういう時代だから」と話す梶

ー「女だから舐められてんだよ」と話す父親

②寿司屋を比べる辺見

ーどこの寿司屋を頼むかで言い合う父と母

Amazonでドライヤーを探していた若林

Amazonでワイングラスを注文した姉

詐欺で金を稼ぐ犯罪組織とどこにでもありそうな実家をつなげることで、犯罪がどこか遠い世界の話なんかじゃないと突きつけてくるような感じがありました。

 

・三角関係

社会格差や犯罪といった重めのテーマをぶつけてくる作品ですが、卑近さを同時に持ち合わせているのが面白いところだなと思いました。

特に梶・真鍋・辺見の関係性の変化は、やることなすこと動く金と流れる血の量の規模がデカいだけで、動機だけ見るとよくある愛憎劇だなと思いました。梶が真鍋と辺見から異常に好かれているのもわかりやすいですが、その2人に対する梶の中途半端っぷりもモテるクズ男感があって良かったです。

真鍋に対しては「コイツと2人でゼロから始めてみます」とあっさり巻き込むわりに、いざ猫が殺されて危険が迫ってくると「もう足洗え」と巻き込まないように気を遣う。おせえよ。

辺見に対しては、真鍋と黙って2人で独立を企んでたくせに、実家のことを持ち出されると「ずっと一緒にやってきたじゃないですか」と裏切られたような顔をする。裏切ったのお前だろ

辺見の方はなんとか梶を取り戻したい一心で、猫を殺してみたり、真鍋を半殺しにして呼び出してみたり、2000万円で尻拭いしてあげたり(重い)

真鍋は真鍋で、梶に勝手に巻き込まれても文句も言わずに辺見のこと睨んで去っていくし、自分が死にかけているのに梶さんが助かるならとモノマネで辺見を笑わせてご機嫌取るし、小指切り落としちゃうし(重い)

梶も、最初は辺見に対して包丁を持つ手が震えていて、体重も全然乗ってなかったのに、真鍋が馬鹿にされて笑われてるのを見て、辺見のこと刺しちゃうし(重い)

そりゃ自分から梶を奪った真鍋がこれで勘弁してくださいって小指持って乗り込んできたら、辺見さんもイライラするよね。梶には2000万円出せるけど、真鍋には1円も出したくないわな、と勝手に納得しました。

 

・辺見と梶

辺見と梶の関係は、「そりゃ辺見さんも嫉妬するわけだよ」とか「だってお前のこと好きだから」など、結構言葉にもされているので初見からわかりやすかったのですが、見るごとに辺見さんから梶さんへの思いの強さに勝手に切なくなりました。

パンフレットにも八嶋さんが辺見について「どこかで若い頃の夢を諦めきれない部分もあって、みっともなく抗っている、女々しい男ですね。辺見の中にあるそんなメス的な部分が、ある意味で夢を託した梶に対する執着に繋がっている気がします」と語られていて、理解しやすかったです。その続きで辺見の行動について「好きな女の子にこれ以上しつこくするともっと嫌われるのに、手紙を大量に書いて『なんで返事くれないんだよ!』とキレる、みたいな感じ」と例えていて、マジでそれなと思いました。

一見すると辺見って梶の嫌がることをやっているようにも見えるけど、決して憎いわけでもないし、嫌われたいわけじゃなくて、むしろその逆というか。ボウリングのシーンでも、無謀なことをしようとする梶を結構本気で親切心から言ってるところもあるんだろうなと。梶を手放したくないし、誰かに殺させたくもない。

若林をスカウトしてきたのも、BBQに若林と梶を呼んだのも辺見ですが、別に梶に嫌がらせをしたいわけじゃなくて、上とのコネクションがあった方がいいだろうというお節介なのかなとも思いました。それだけに若林をボコボコに殴った梶に「縁切りましょう。コイツと2人でゼロからやり直します」と言われたのはかなり堪えただろうなと。

大阪公演のときはその後の「俺はお前のためを思って」の部分がもう少し茶化した言い方に聞こえていたのですが、東京公演では梶のところまで近づいていって腕を掴みながら「俺はお前のためを思って」と引き留める形に見えて、より一層その後の「無意味なことはやめてくれよ」の悲痛さが増していました。

大阪と東京千秋楽を見に行ったので、間が1ヶ月ほど空いて、結構セリフの言い方とか動きが変わっているところがあったのですが、辺見の真剣なセリフが増えているのと、辺見から梶へのボディタッチが増えているのは感じました。

真鍋を殺さずにしておいた理由について青木が「辺見さんはお前の復活に賭けたんだよ」と言った後の、辺見の「そういう希望があったのかもしれない」というセリフの絶望感も増していましたし、「俺はお前のことが好きだから」もわりと真剣になってた気がしました。

大阪初日を見たときは「2000万円も払っちゃったの⁉︎」と突然の愛の強さに驚きましたが、その辺りのセリフの真剣さが増したことで、「まぁ梶さんのためなら2000万円くらい払うか」と納得できる感じでした。

辺見の立場から考えると、2000万円出してでも手放したくなかった梶が、自分より後に知り合ったはずの真鍋と自分に黙って独立企んでいた上に、2人でやり直すとか言い出すもんだから、やりきれないですよね。辺見の嫌がらせのようにも思える行為が梶を連れ戻すどころか、むしろ事態を悪化させていたわけだけど、かといって広い心で背中を押していたら、それはそれで真鍋と2人で飛んでいっちゃいそうだし。どうにもできなかったんだろうなと。

 

・真鍋と梶

辺見から梶への愛の重さに引けを取らないのがこちらの2人。

この2人、立ち姿がめちゃくちゃ似てるんですよね。身長も5cm差ですし、着こなしも似ている。第二ボタンまで開けたシャツとスラックス、腕時計に金色のチェーンのネックレス。ネックレスは全く同じデザインにも見えたのですが、微妙に梶さんの方が長かったです。元々手足長くて頭小さい体格がそれなりに似てるっていうのもあると思いますが、結構衣装とかでわざと演出的に作っている部分もあるのかなと思いました。

辺見と違ってセリフや説明が多くないので若干わかりづらいのですが、とにかく表情や動きにめちゃくちゃ出てる。ていうかアイコンタクトが多すぎる。以心伝心というか、言い訳を始めた原田にイライラする様子の梶を見て、汲み取って殴り始めるし、ボウリングが下手な辺見を2人でひっそり笑ってるし。

特に「コイツ誰が連れてきたの?」「イケちゃんっす」「イケちゃんかよ」「イケちゃんっす」「イケちゃんか」のところの2人だけの入り込めなさそうな雰囲気が、それだけでめちゃくちゃ説明になってた。そこに原田が空気読まずに割り込んで謝りにいって、案の定殴られてた。

生意気なことを言う若林に苛立っている様子の梶を宥めようと笑いかける真鍋も良いのですが、その後若林をボコり始めた梶を止めるところが良かったです。私の入った公演では、一旦落ち着いた梶をまだ止めようとする真鍋に対し、もう大丈夫だからと言うように梶がポンと胸を叩いていて、2人で至近距離で笑っていたのが萌えました。どんな窮地でも、死にかけでも、2人ともお互いの顔を見ると笑うんですよね。

あとは電話のシーンの梶さんのトーンだけでも、真鍋にどれだけ心を開いているかがすごく伝わってくる。「俺自分の枕じゃないと上手く眠れないんだよ」に対し、電話の向こうの真鍋が何かを言って梶のことをいじって、梶がそれに対し「うるせえ、うるせえよ」と笑ってるところが、ピリッとした後半の数少ないほんわかシーンでした。真鍋ってどちらかというと忠臣みたいな印象だったので、梶のことおちょくったりするんだなぁって。梶が結局なんて言われたのかめちゃくちゃ気になる。でも「〇〇では寝てたじゃないですか」的ないじりなら、真鍋は梶さんが寝てる姿を見たことがあることになるなぁと思いつつ。

色々考えて2人の距離感を作り込んでいたんだろうなとは思っていましたが、毎熊さんが丸山さんのことを「隆平さん」と呼んでいたことが判明して、マジで梶と真鍋じゃんと噛み締めました。

 

ここまでの関係性があって、真鍋の最期のシーンを見ると、もう切なさでうわぁってなります。

死にかけの真鍋と切り落とされた小指を見せられた梶が怒鳴ったりしないのが余計にリアルだなと思いました。怒りとか驚きとか不信感とか心配とか、いろんな感情が混ぜこぜになって、自分でもわけがわからなくなって混乱して何も言えなくなっているように見えました。

「すいません、梶さん」と謝る真鍋に対し、「俺に謝れよ!」とキレる辺見ですが、結局この後も真鍋、一回も辺見さんに明確には謝ってないんですよね。その後の「すいません、ほんと、すいません」も辺見さんを怒らせないように梶さんの名前こそ出していないものの、梶さんに謝っているようにしか見えなかったです。

何より、その後の梶の「足洗えって言ったじゃん」に対する「すいません。自分、不器用なもんで」ですね。これが高倉健の「自分、不器用ですから」という有名なセリフと似ていて、辺見と青木が爆笑するんですよ。「嘘でしょ?もっかい言って!」と辺見にバカにされても、むしろより一層似せる感じで「自分、不器用なもんで」と従順に繰り返すんですよね。最初見たときは瀕死の真鍋がモノマネすることに違和感があったのですが、梶さんを助けたかったんだなと思うと納得しました。自分が笑われてもバカにされても、それで梶さんが助かるなら、梶さんが許してもらえるならそれでいいというか。

辺見を刺してしまった梶に対しても、なんとか止めようと瀕死の体で這いつくばって梶の足を掴んで止める姿、めちゃくちゃ良かったです。

でもそれだけ徹底して梶を守ろう、助けようとする真鍋だからこそ、梶から「お前もう足洗え」「明日の朝には東京離れろ。そうだな、沖縄あたりがいいんじゃねえか?」と言われて、泣いて電話をブチ切りするのも分かるなと。真鍋からすれば梶とならどこまでもという覚悟があったわけだから、そりゃ自分だけ先に逃げるような真似できるはずがないよなと思いました。

そのまま梶さんの話を聞きながら息絶えてしまう真鍋に、梶が泣き叫びもしがみつきもせず見つめているのが、ただただ絶望と喪失感と悲しみを抱えて動けなくなっているように見えました。梶以外の全員、死にかけの辺見でさえも花火を見ようと屋上の上部に登っていく中、ただ1人真鍋の死体の横で、階段を掴もうともせずに立ち尽くしている姿を見て、もうこの人には何の気力も残っていないんだなと思いました。

 

・希望の象徴としての望月

ここまでのリアリティと熱い流れがあったからこそ、その後に続く望月と梶のシーンが浮いている感じがするんですよね。疲れそうなくらい他人の話をひたすら聞く梶なのに、望月とのここでの会話は妙に不自然というか。アンジャッシュのコントみたいな感じで、梶は望月じゃない誰かと話していて、望月は梶と話しているんじゃないかというような印象を受けました。

それでパンフレットを読みつつ思ったのが、梶があのとき話していたのは未来や希望の概念としての望月なんじゃないかと。

梶のセリフだけ抜粋すると「何でお前がここにいるんだよ。もうとっくに解散しただろ」「ずっとそこにいたのか?」「お前、名前なんて言うんだっけ。だから、お前の名前」「そう言う名前だったのか。お前、そういう名前だったのか」「早く降りてこい、そこは危険だから」「もうここはお前のいる場所じゃないんだよ。頼むから早く消えてくれ。早く消えてくれ」という形になります。

ずっとそこにあったのに、気が付かなかった。お前がそれだとは思わなかった。こんなところにあるはずじゃないのに、なぜかまだある。頼むから早く消えてくれ。

消えてくれという言い方も、人間に対して言うのはやや不自然ですが、未来や希望に対して言っているのであれば、自然な言い回しかなと思いました。

青木はそんな望月を逃そうとしますが、梶は目も合わさない。真鍋を失い、戻る場所もない梶にとって、今さら希望や未来を見せつけられてもツラいだけで、祈るように早く消えてくれと繰り返していたんじゃないかなと思いました。

 

・最終場の解釈

最終場は再び実家のシーンに戻り、3人の日常的な会話が繰り広げられます。最後に誰かが帰宅してきて、それに対する美紀の「あれ?おかえり。なんでこんな時間に?まぁいいわ。カレー余ってるから、あんたいっぱい食べちゃって」というセリフで終わります。

帰ってきたのが誰かという解釈については、美紀の息子であるハヤト、生き残った梶の2択に分かれるわけですが、私はハヤトだと考えています。

もちろんアフタートークで赤堀さんが「舞台初日、最後の実家のシーンを見て丸ちゃんが、梶はもうあそこには戻れないんだと泣いていた」と話していたのも理由の一つですが、他にもそう考える理由があります。

まず、あそこで絶望し、青木に銃を向けられながら笑った梶が、たとえ奇跡的にあの火災から生き残ったとしても、そのまま実家で平凡な日常を過ごして生き延びていく姿が考えられないなと思ったのが一つです。

次に父親と美紀のトイレ問題に関する口論で、「この前便座あげっぱなしだったから」に対し、父親が「何で俺なんだよ、お前の息子じゃねえの?」と返しますが、もし梶さんがこの家で生きていたら、便座を上げっぱなしにする可能性がある人間は梶さんを含む3人になるはずなので、梶さんはこの家にいないんだなと解釈しました。

最後に美紀が玄関から帰ってきた人間に対して「あれ?なんでこんな時間に」と問いかけますが、それが父親の一番最初のセリフ「ハヤトは何時ごろ帰ってくんだ?」とつながっているのかなと思いました。ハヤトは学校の行事か部活か何かでその日は元々帰りが遅くなる予定で、夕ご飯もいらないと言っていたが、何か事情があって早く帰ってくることになったのかなと。

マロンもいなくなって梶が死んでいたとすると、最後の日常シーンがいつも通りすぎるかなとも思うのですが、いつまでも悲しんでいても帰ってくるわけじゃないですか。どこかで日常に戻らないといけないから、ふとした時に悲しくなることはあるけど、今のところは日常を送れている、という状態なのかなと思いました。実際、前の2場面から何も変化がないわけじゃなくて、父親がようやく非を認めて謝ったり、美紀の言うことを聞いてカレーを食べたりします。息子に先に行かれたことが、ほんの少しだけ2人を素直にさせたのかなと感じたりしました。

 

・プレイリスト

パラダイスで一番違和感があったのは、開演前に流れている曲です。マシーン日記だと工場をイメージしたサウンドトラックだったり、ヘドウィグだと道路をイメージした救急車などの音だったり、イフオアだと洋楽がかかっていることもあったり、いろいろですが、パラダイスは完全に流行りのポップスでした。そのリストがこちら。

 

一途/King Gnu

残響散歌/Aimer

悪魔の子/ヒグチアイ

アルデバラン/AI

燦々デイズ/スピラ・スピカ

踊り子/Vaundy

命に嫌われている。/まふまふ

うるうびと/RADWIMPS

Actually.../乃木坂46

Mela!/緑黄色社

POP SONG/米津玄師

題名のない今日/平井大

ミライチズ/夜のひと笑い

3月9日/レミオロメン

Butter/BTS

CITRUS/Da-iCE

踊/Ado

WADADA/kep1er

ドライフラワー/優里

The Feels/TWICE

祭/藤井風

うっせぇわ/Ado

炎/LiSA

Permission to Dance/BTS

ミスター/YOASOBI

ハート/あいみょん

Pretender/official髭男dism

 

特に洋楽縛りとかでもなく、ジャンルも恋愛ソングだったりそうじゃなかったりバラバラ。パラダイスという作品自体わりとシリアスな感じなので、違和感があったのですが、違和感があるということは意図的にそうしているということなので、いくつか考察してみました。

 

望月が聴いていた曲説

これはツイッターで何件か見かけた考察なのですが、望月が屋上で聴いていたのがこのプレイリストなのではないかという説です。確かに望月の見た目の年齢的に聴いていない不思議じゃない内容ですが、個人的にはあまりにも趣味がなさすぎるんじゃないかなと思いました。お気に入りというものを感じないというか、流行の寄せ集めって感じで、特定の誰かのプレイリストって感じがあまりしないというか。ただ、恋しているのではないかというのは面白いなと思いました。確かにわりと恋愛ソングが目立つんですよね。特に最後のPretenderなんかは日本語で詐欺師という意味もありますし、望月が梶に恋をしていたと捉えても、セリフや表情に違和感はないなと思って。

 

作品全体を表している説

パラダイスって取り扱っているのが詐欺、犯罪、社会格差だったりするので、すごく重々しくシリアスな感じがするのですが、意外と動機になっているのはただの三角関係という話を踏まえると、流行りの恋愛ソングや、世の中への不満を歌った曲など、普遍的なものをあえて揃えている理由になるかなと思いました。あえて陳腐にすることで、彼らの物語が全く遠い世界の話じゃなくて、身近であることを示しているのかなと。

 

渋谷をイメージしている説

個人的にはこれが一番しっくりきました。私は今回初めて渋谷に行ったのですが、渋谷ってスクランブル交差点だとずっと広告が音付きの動画で流れていたり、センター街に入ると流行りの曲が流れていたり、結構音にまみれているなと思いました。

話に出てくるのも渋谷、道玄坂、池袋、赤坂、六本木といった、渋谷近辺の地名が多いので、渋谷の街から会場内を地続きにするようなイメージで作られているのかなと思いました。

 

・地名について

作品の中ではさまざまな地名が出てきますが、私は関西人なので、地図で調べて初めて気がついたことがいくつかありました。

赤坂と六本木

六本木がわりと高級なイメージはあったのですが、赤坂も同じような場所にあるんですね。同じ港区内で、渋谷から車で10分ほど。辺見が文句を言っていた寿司屋があるのが赤坂、真鍋が小指を切り落とした後に行った焼肉屋が六本木なので、その辺りも辺見の経済状況を反映しているのかなと思いました。

池袋

池袋の名前が出てくるのが、辺見が昔よく行っていたボウリング場があるのが池袋。渋谷よりは栄えていないイメージがあったのですが、家賃相場も渋谷駅周辺が1Rで13万円なのに対し、池袋駅周辺は1Rで9万円と結構差があるようです。

「スコアが手書きだった頃よく行った」と言っていたので、おそらく80年代~90年代だと思います。丸山さんが38歳で、梶さんが38歳よりは若い設定なので、八嶋さんも実年齢よりいくつか若い設定だとすると、辺見さんは2022年で50歳ほど。1980年だと8歳になってしまうので、90年代頃、20歳前後の時によく行ったのかなと思いました。おそらく当時はそこまでお金がなかったので、池袋だったんですかね。青木がそのボウリング場を知っている体で話しかけているように思えたので、もしそうだとすると青木と辺見はおおよそ30年前から知り合いだったことになりますね。水澤さんが八嶋さんの6つ年下なので、青木はおそらく1990年で12歳、2000年で22歳になるくらいのはず。青木が高卒か中卒で卒業したてくらいの頃に知り合ったのかもしれません。大体25年くらい付き合いがあるということになります。

一方で梶は「普通に大学を出て」と言っているので、留年なし4年制大学だと考えると、2010年ごろに就職したことになります。その後しばらく働いてから辺見と出会ったと考えると、付き合いはおよそ10年ほどになるので、辺見の「お前と長年連れ添ってきた」がそれくらいのスパンを指していると思うと面白いですね。よっぽど濃密な関係だったのかなと思います。

毎熊さんは丸山さんより3歳若いので、もし真鍋が大卒か高卒かくらいでこの世界に入っていたとすると、真鍋と梶はほぼ同期くらいになるのかもしれません。

渋谷

梶さんが住んでいるのが渋谷区、辺見と若林が知り合ったのも渋谷の道玄坂にあるバー、ついでにシアターコクーンがある場所となっています。私は最初にパラダイスに入ったのが大阪公演だったので、森ノ宮で観たのですが、森ノ宮ってかなりファミリー向けというか、大阪市内でも閑静で公園などがあり住みやすい街(逆にいうと外の人がわざわざ訪れる場所ではない)というイメージです。なので当たり前ですが、ピロティホールを出るとすぐ現実という印象がありました。

でも渋谷で観ると、舞台に入る前も入った後も、パラダイスの空間と地続きであるような感じがしました。10代~40代くらいの人間で溢れていて、喫煙所からタバコの煙が漏れてきて、大声で話すちょっと怖そうなお兄さんたちがいて、流行の音楽がかかっている。ここに梶や真鍋がいても不思議ではないような雰囲気。なんとなく望月が洋服を買おうと思ってやってきたのも渋谷だったんじゃないかなと思いました。

船橋と幕張

梶さんの実家のある船橋、私は勝手に車で1時間以上かかるくらいの距離だと思っていたのですが、渋谷駅から船橋駅まではおよそ40分程度。帰ろうと思えばすぐに帰れる距離です。

実際辺見と青木がBBQの買い出しに行った幕張も渋谷から車で40分ほどとほぼ同距離です。コストコは会員制で、青木がコストコに行ったのが初めてだったことを踏まえると、おそらく辺見がコストコの会員なのではないでしょうか。そう考えると、辺見にとって幕張はある程度日常的に通える距離で、船橋もそれと同じくらいだと捉えることができます。

中学1年(13歳)の甥と一度も会ったことのないと考えると、梶は10年単位で帰ってなかったのかなと思いました。先ほどの予想から10年前に梶が辺見と知り合ったと考えると、この世界に入ってからは一度も帰っていなかったのかもしれません。地理的な距離が遠くない分、心の距離の遠さがわかるなと思いました。

 

・その他

タバコの銘柄

梶さんのタバコの銘柄を見ようとしていたのですが、恐らく色味的にマールボロヒートスティックトロピカルメンソールだと思います。Twitter見てたらTEREAのトロピカルメンソールという説もありましたが、私から見るとマールボロの方が色味が近い気がした。

とりあえず、どっちにしてもわりと吸いやすいフレーバーなんですよね。最初はメンカラ?と思っちゃったけど、赤堀さんの作り上げる密度の濃いリアリティの中で、単にメンカラと言う理由だけで銘柄を選ぶのは違う気がする。

なんとなく思ったのは、元々梶さんは非喫煙者で、付き合いでタバコを吸い始めたのかなと思いました。辺見さんが喫煙者ですし、合わせて吸いやすいタバコを吸っているうちに、習慣になったってところかなと。

辺見さんも同じ銘柄だったという情報を見たのですが、もしかすると辺見さんも周りと合わせるために吸い始めたのかもしれませんね。辺見さんの性格ならめちゃくちゃ想像しやすい。

 

姉と弟

最初の場面での美紀と梶の会話ってかなりぎこちなくて、二人きりになった時も、梶の言う通り美紀がどこか怒っているようにも見えるんですよね。

実際美紀の立場から考えてみると、全然帰ってこなかった弟がいきなり「ワイン飲むんだ。意外」とか言ってくるし、両親のこと「もう完全に老人じゃん」とか言ってくるし、腹立ってもおかしくないよなと。そこまでの梶の会話を無視して、最後にあえて関係のないコロッケの値段のことを聞いたのは、苛立つ気持ちもあったけど、その気持ちを飲み込んで和解の一歩を踏み出したのかなと思いました。

だからこそ最後は笑いながら家の話や憧れの話をできたのかもしれません。

真鍋さんの前では美紀を「姉貴」って呼んでるのに、実際は「姉ちゃん」呼びなの可愛い。

 

父親の癌

辺見は梶の父親のがんについて「膵臓だか肝臓だか忘れちゃったけど」と言っていましたが、一郎が何度も背中をさするシーンがあったので、膵臓がんなのかなと思いました。

膵臓がんはヘビースモーカーだとなりやすいそうです。肝臓がんや他のがんと比べても、かなり生存率が低く、難治性のがんで有名らしいです。

 

愛人とセックスレス

よくよく考えると意味わからなくないですか?愛人って嫁以外とセックスしたくて作るもんじゃないの?と思いました。もしかすると辺見さんにとってはあの男社会で生きていくためのトロフィーみたいなもんだったのかなと。

 

暗転の仕方

結構プツリと切れたように暗転することが多いのが特徴的でしたが、観客側はあくまで彼らの人生の一部を覗いているだけなんだというのを強調しているように思えました。

 

梶浩一の性格

2場の途中以降、梶さんってずっと追い詰められているので、逆に2場のお調子者っぽさが浮いているように感じるのですが、本来のキャラクターとしてはわりと陽気でお調子者な感じなのかなと思いました。

辺見さんに対して「惨敗じゃないっすか」って笑ってたところとか、「よっ、お願いします!」って盛り上げてたところが結構好きでした。

 

最後に

私が舞台にどっぷり浸かり始めたのはマシーン日記がきっかけで、あの時は結構ミチオの仕草含むビジュアルが好きで何度も観に行ってたんですよね。その次にどハマりしたのがヘドウィグで、あの時は丸山さんというより完全にヘドウィグのファンとして通っていました。

そして次にハマったのがパラダイスですが、今回は作中の登場人物同士の関係や心情変化を考えるのが楽しかったなと。

推しのおかげである意味好き嫌いなく色々な作品に触れられているので、今まで気づかなかった好きなものがどんどん掘り出されて、すごく楽しいです。

マシーン日記が終わった後もこれより良い作品に出会えるのか不安になりましたし、ヘドウィグの時もそうでしたが、1年も経たないうちにこうして5万字のブログを書いてしまうほどハマる作品に出会えたのは本当に幸せだなと思います。

一方で、これより良い作品に出会えるのかなとまた不安になっている自分がいます。最高に出会ってしまった時に付き纏う贅沢な不安なのかもしれません。

しばらくはこの興奮と寂しさと一緒に生活していこうと思います。