そーゆーとこツボなのさ

終日もう君に夢中

私のあのよとこのよ

あのよこのよを観てきた。

脚本・演出は青木豪、主演は安田章大である。

私が人生で初めて観た舞台・マニアックも、青木さん×安田さんの作品だった。

あれから5年が経ったらしい。

それまでの間に、振り返ってみれば43回も観劇していた。私は今ではすっかり舞台の虜である。

 

暗い箱の中

 

ところで5年前の私は、うつ病だったようだ。

 

なんでそんな曖昧な言い方なのかと言うと、正式に病院で診断を貰ったわけじゃないからだ。

何度かうつ病のセルフチェックができるサイトを覗いた時に、ほぼ毎回高得点を叩き出して受診を勧められていたのは覚えている。


ちなみに私は画像や映像などの視覚的なイメージで記憶するのが得意なタイプである。

だからあの頃に観た、スマホに表示された受診を推奨する画面はよく覚えている。

そして当時を振り返った時に、毎回思い出すイメージがある。


夜中の2時だ。

場所は実家のマンションの部屋で、キッチン以外の全ての部屋の電気が消えている。

キッチンだけオレンジ色のペンダントランプが灯っていて、その下にリビングから持ってきた椅子を置いていた。

椅子の上には、身体を縮こめて丸まって座っている自分の姿がある。


なぜリビング側の方向から見た自分の姿が思い出されるのかは、よくわからない。

椅子の肌触りも、涙が伝う感覚も、そのイメージの中には保存されていない。

ただ覚えているのは、まるで暗い小さな箱に閉じ込められているかのように、身体を丸くする自分の姿なのだ。


うつ病の症状というのは様々あるが、私の場合に顕著だったのは、ネガティブな出来事の拡大解釈だった。


実家の固定電話が鳴ることとか、まだ夏休みの宿題が終わっていないこととか、明日が始業式であることとか、ほんの些細なことがこの世の終わりのように思えた。

それだけのことで、心臓が異常に高鳴り、手足が冷たくなって、涙が勝手に溢れて、よく眠れなかった。

何度も7階のベランダの柵に足をかける自分の姿を想像した。

 

それでもなんとか、

土曜日の関ジャニ∞クロニクルを観るまでは死ねない

エイタメのオーラスに行くまでは死ねない

イフオアを観るまでは死ねない

と思いながら、騙し騙し延命していた。


もし関ジャニ∞がいなかったら、もし村上信五がいなかったら、私は本当に死んでいたんじゃないかと思う。


私はそんな風にして、10代のおよそ10年間を過ごした。

ありがたいことに、これは過去の話である。

今の私はそこそこ元気だ。

 

舞台の上の眠れない人々


私の憂鬱は、2020年を機に急激に回復に向かった。

コロナ禍だったのはある。周囲の人間との繋がりが一旦ある程度強制的に断ち切られたことで、自分をリセットすることができた。


そして私のメンタルを回復するのに最も役立ったのは、コンサートではなく舞台だった。


舞台上には眠れない人々がたくさん登場する。

 

マシーン日記のミチオも、パラダイスの梶や辺見、青木も、揃って「よく眠れない」ということを口にしていた。

夜への長い旅路に出てくる麻薬常習者の母・メアリーや、リボルバーに登場するフィンセントは、夜中にあてもなく徘徊していた。

 

眠れない人間にとって、夜はとても暗くて長いのだ。

そして不眠は、うつ病の代表的な症状だ。


私はうつ病というのは、何か大きな出来事が原因でなるものだと捉えていた。でも実際の私はそんなに大した不幸に見舞われたことはなくて、それなりに恵まれた暮らしをしていることは理解していて、だからこそ自分がなぜしんどいのか分からなかった。

だから、自分はうつ病なはずがない。そう思い込んでいた。

 

でも舞台上にいる眠れない人々を観客として客観的に見た時に思ったのだ。

分かりづらい悲劇というのは、分かりやすい悲劇よりも時に悲惨である。


特にパラダイスは、一貫して分かりづらい悲劇の中にいる人々が描かれていたように思う。

分かりづらいゆえに、周囲に伝わらなくて、なんなら自分ですらよく分からない。

真綿で首を絞められるとはこのことだろう。


いろいろな舞台で、真綿で人が窒息することを知った。私は自分の首にも真綿が絡み付いていることに気がついた。


気がついてしまえば、ゆっくり解けばいい。

舞台上の登場人物たちの分かりづらい苦悩を考察することは、自分がなぜ苦しいのかを考えるヒントになった。


「分かる」ということは「分ける」ということである。

私は自分の苦痛が分かったことで、自分の手元から離れた感覚があった。


おかげで今の私は、結構幸せである。

それと同時に、私の暗くて長い10代は、今の自分とは切り離されているような感覚がある。今の自分から「分けられた」のだ。

だからこそ、私が思い出すのは椅子の上の自分の姿を外から見た様子なのだろう。

 

あのよこのよ


あのよこのよは、明治初期を描いた作品である。

舞台上で、刺爪秋斎は泣いていた。


「今日一日、なんのためのてんてこまいだよ」


彼は怒っていたし、悲しんでいたのだと思う。


江戸という時代が終わったこと

お抱え元がなくなったこと

流行り病であっさりと人が死んでいくこと

法律が変わって、今までは許されていたことで処罰されるようになってしまったこと

命懸けで守ったはずのミツがとっくに死んだ人間であったこと

弟の喜三郎が守った勘太が死んでしまったこと

世界が自分のものでないこと


あまりにも目まぐるしく今が過ぎ去っていって、自分から遠く離れたところにあるもの(=あのよ)になっていく感覚があったのかもしれない。

自分のやってきたこと、信じてきたことが、無駄なもの、無意味なものになったように感じたのかもしれない。


それでも秋斎は、今のここにある世界(このよ)と、過ぎ去った物、亡くなった人がいる世界(あのよ)が、まぜこぜになったものを描こうとした。


「俺はあのよに続く糸を描こう」


絵で、音楽で、彼は必死にあのよとこのよを繋いだ。


あのよもこのよも境目もない

どこに行こうとみな同じ 


死者と一緒になって三味線をかき鳴らしながら、この歌詞を力強く歌い踊る秋斎は、エネルギーに満ちていた。

 

私のあのよとこのよ


それを見て私は、まだ暗くて狭い箱の中に閉じ込められている10代の私を、今の自分と切り離している自分に気がついた。

あの10年は、10代という貴重な時間をものすごく無駄にしたような気がしていた。


あの時期を一旦自分から切り離すことは多分、私にとって必要なことだったと思う。

一度遠くに置いてみて、冷静になって眺める時間が必要だった。

そのきっかけをくれたのは、舞台だった。


そして初めて観た舞台から5年後に、同じ青木さん×安田さんタッグの舞台を観て、そろそろ今と過去、このよとあのよを再接続するタイミングが来たのかもしれないと思った。

私の人生には不幸な時間もあって、幸せな時間もある。うつ病だった過去、失ったものを無かったことにする必要はない。

そうやって、自分の今まで生きてきたあのよと、今のこのよを丸ごと曖昧なまま、自分の中に抱え込んでも良いんじゃないかと思った。

 

以上が、あのよこのよを観て私の考えたことである。

また次の良い舞台に出会った時に、自分が何を考えるのかが楽しみだ。